初めて描いた絵コンテと原稿
デジタル投稿も初めてでしたが、
ペン入れにロットリングのみを使用したのも
初めてでした。(公開しているマンガはこれを修正したものです。)
で、とりあえずスタートした「むらさきうにのUO漫画」でしたが、当初はホームページにして公開する予定はありませんでした。
半信半疑でしたが、とにかく何本か描くことにしました。
最初に描いたのは「鍛冶屋のうみゆり」と「くらげ」でした。
くま子を介して某出版社の編集員I氏に送ると、いくつかの修正の要請が帰ってきました。
I氏はとても気に入ってくれたらしく、編集会議で強くこの企画を押してくれていたようですが、なにせこちらは名もないアマチュアです。
そんなド素人の描いたマンガですんなりと企画がとおるはずもなく、編集部から数々の条件をつけられたようです。
そのひとつに、「あの人気サイトの作者のなになにさん、みたいな、なんらかの肩書きがあれば、まあ、考えよう。」とかいうのがあったらしく、ホームページで公開して、ある一定のヒット数を獲得することを求められたらしいのです。
・・・なんだか、自分の知らないところで話が進んでいて、この段階になってもわたしは半信半疑でした。
わたしは中国地方某県、くま子は埼玉県に在住・・・・。
いくらネットの時代とはいえ、900km彼方の出来事はなんだか絵空事のようにも思えました。
まさかそんな話になっているとは・・・・。
ある日、いきなりくま子から「そーゆーわけで、ホームページにした。」という連絡があり、そのとき初めて自分のマンガがホームページになっているのを見たという、なんとも本人置いてけ掘なお話です。
そうして始まったホームページでしたが、わたしは「そんな肩書き作りのヒット数稼ぎなんか、どうでもいい」と思っていました。
「別に名を売りたくてマンガ描いてるわけじゃないし、金持ちになりたいなら銀行員にでもなればいいじゃん。」
それよりも、別の意味でわたしにとってはチャンスでした。
「自分のマンガを多くの方たちに見てもらえる。」
これまで日の当たる場所に出たことのない、しがないマンガ描きにとって、それはやっと見つけた舞台への階段に等しかったのです。(うまく踊れるかどうかは別問題ですが・・・。)
しかし、それはまったくの予想外であり、困った事態でした。
そのとき描いていたマンガはあくまで印刷物の原稿として作ったもので、ホームページで公開するように構成してなかったからです。
そこでUOマンガのホームページとして構成しなおすため、あるUOマンガサイトを徹底的に研究しました。
それはTimさんの「こねくりブリタニア」でした。(以前から好きなサイトでしたので。)
そして「こねくりブリタニア」から大きなヒントをいただきました。
それは「ストーリーがつづいていく四コママンガ」というスタイルのおもしろさと、UOマンガで魅力的なキャラとはどういうものか、というハッキリとしたカタチでした。
当初は、「UOをネタに、つくりのギャグで笑わせればいいや。」と、安易な考えでいたのですが、UOのプレーヤーは、そういったものを瞬時に見破る目を持っているし、そんなチープなギャグにはついてきてくれないということにも気づかされました。
「実話に基づいていなければ、共感は生まれない。」
それが「こねくりブリタニア」が教えてくれた最大のヒントでした。
いろいろ考えた末に、以前からくま子に断片的に聞かされていた、アトランティックでの冒険物語をまとめてストーリーを構成することにしました。
こうして「むらさきうにのUO漫画は実話ベース」という根本的なスタイルを持つことができたのでした。
嬉々として作画に没頭していました。苦しくて楽しい日々が流れていきました。
そして、はじめてBBSに読者の方からメッセージをいただいたときの喜びは、いまでも忘れられません。最初のお客様はIWASAKIさんという方で「くま子反撃」のあたりの感想を寄せて下さいました。
話を持ってきた張本人のくま子も、最初は出版に執着していましたが、ホームページを作っているうちに、次第に「見てくれてる人のためにやろう。」という気持ちに変わっていったようです。
最近はわたしが「読者のひとが・・・」というと「ばかもの、読者さまと呼べっ!」というくらい、思考が切り替わってしまっています。W
それからいろいろあって、結局出版の話はつぶれてしまいましたが、おかげで長年求めてきた「居場所」を得ました。
I氏が奔走して下さらなければ今はないですし、「こねくりブリタニア」がなければ今はありません。そして、なによりも「見て笑ってくれた人たち」に支えられて、今があるのです。
編集者I氏の情熱と、話を持ってきてくれたくま子に、「こねくりブリタニア」の存在に、そしてわたしのマンガを見て笑ってくださった読者のみなさんに深く感謝しています。
ホームページになるまで