3日目
西大山駅→池田湖→知覧特攻平和記念館→広島
13時57分
西大山駅 発


また小雨が降り始めた

並木の間から池田湖が見えてくる

眺めていると水上スキーをしている
人がいた・・・



寒くね?
屈斜路湖ではクッシーに遭えなかったが
池田湖ではぜひ
イッシーに遭いたいものだ

それらしきものはないかと探していると
湖畔にイッシーっぽいカタチの遊具を発見
14時13分
旅の駅
池田湖パラダイス 着
いたーーーー!!
イッシー発見!!

・・・なんという間延びした顔w
駐車場の真ん中に鎮座ましまし・・・
その真ん前に車を停める
池田湖といえば大うなぎだ
なんだか大うなぎと触れ合えそうな
看板がある

触れ合うとヌルヌルだろうけど・・・・
どこに展示してあるのかと
建物に入ったら
とてもわかりやすい案内看板が・・・・


・・・トイレに大うなぎがいるわけではない

つーか
そんなトイレは嫌だ・・・・
こちらが大うなぎの展示水槽
・・・・いや
家族旅行で来た時もね
「大うなぎってどんなんだろ?」と
ワクテカしながら水槽を覗き込んだ
覚えがあるのだよ・・・・


・・・感想はあの時も今も同じ

「・・・・こんなもんか?」

大うなぎを名乗るなら
全長20mはほしいではないか!

・・・・そんなのがいたら
それがイッシーだろうけどね
鹿児島名物のさつま揚げを買うF氏
すぐ傍のレストランで遅い昼食
わたしはうなぎ玉子とじ丼

食べた感想
「タマゴはいらんかったな・・・」
F氏は黒豚丼にした
「ご飯大盛り」を頼んだら
大盛りご飯が別についてくるという珍事が発生


食べた感想
「うん・・・まあ・・・豚ですよ」

「メシ多過ぎっ!」
K氏はうなぎわさび丼

食べた感想
「・・・・辛かった」
O氏はとろろうなぎ丼

食べた感想
「とろろの意味がわからない・・・・」




あああ
とっても楽しい食事でしたー!!

でも
それなりに美味かった
北海道でじゃがいもソフトクリームを
食べてうまかったので
鹿児島でさつまいもソフトクリームを
食べてみた・・・・


・・・・冷えた焼き芋の味だった

いや
これもそれなりに美味いけどね


14時55分 発
整備されたハイウェィを通って
知覧に向かう

風が強くなり始めた
レジアスエースの大きな車体が
強風に煽られて揺れる

帰るまでもう少し天気よ
もってくれ!
知らなかったのだが
知覧はお茶で有名なところらしい


ハイウェイを降りると
茶畑が広がっていた
とうとう雨も本降りになってしまった

予定より時間も押しているが
次の目的地だけは外せない
長い間そこへ行きたいと願っていたのだ・・・
15時26分
知覧特攻平和会館 着


太平洋戦争末期
知覧は陸軍の特攻隊の基地だった
多くの若者が純粋な救国の思いから
二度と帰らぬ翼を纏い
この地から飛び立っていった・・・・・

ここは特攻隊員たちの遺品や
当時の戦闘機 武器 軍装品などを展示する
施設だ・・・・


館内は撮影禁止
・・・・しかし
禁止されていなくても
とても撮影する気にはなれない

そこには特攻隊員たちの遺影と絶筆
最後に家族に当てた手紙が並んでいるのだ

三式戦闘機「飛燕」や四式戦闘機「疾風」の
実機も展示されているが
他所の博物館で見るのとはその重みが違っていた
四式戦闘機の前に立つと鳥肌が立った
それは
長い間憧れていた戦闘機にやっと遭えた事と
これに乗って多くの若いパイロットたちが
命を散らして行ったという事実とに挟まれた
複雑な思いのためだろう・・・・
三角兵舎
特攻隊員たちはこの粗末な兵舎に
集められて最後の夜を過ごした
ほとんどが10〜20代の青年だ


館内に展示されている隊員たちの絶筆には
「轟沈」や「七生報国」などの勇ましい言葉が多いが
その中にこんなものがあった
「俺が死んだら何人泣くべ」
・・・・そんな悲しい思いを
この粗末な兵舎の中で巡らせていたに違いない


特攻の母の像

映画でも有名になった鳥濱トメさんの像
若い特攻隊員たちの母親代わりとして
彼らの最後の日々の面倒を見てきた人だ
戦後 特攻の協力者として戦犯のように
扱われた時期もあったが
彼女の純粋な想いは近年になってやっと
正当評価されるようになった・・・・・

特攻銅像「とこしえに」

彼らが戦争に行かずに生き延びていたら
どれだけのことを成し遂げただろう・・・・


戦争とは
「ふるさとを守りたい」
「愛する人々を守りたい」という
若者の純粋な想いを利用して
国益の追求のみを目的に遂行されるもので
ダメ国家が真っ先に思いつく
最低の愚策に過ぎないとわたしは思う
野外展示されている一式戦闘機「隼」
これは実物ではなく
映画「俺は君のためにこそ死にに行く」で
使用された撮影用の模型だ
もう少し時間があれば・・・・と思うが
予定時間をかなりオーバーした上に
大粒の冷たい雨が強風で吹きつける荒天になって
きたので引き上げることにした

ここはぜひ
もう一度じっくりと時間をかけて見学したい

16時50分 発
知覧のメインストリートの
両サイドの歩道には
鎮魂の祈りが篭った灯篭がどこまでも
並んでいる・・・

17時05分
知覧インターチェンジ通過

先ほど通った無料のハイウェイのほうが
10倍マシな山道が続く
・・・これで有料なの? 

17時40分
鹿児島インターチェンジ通過
17時48分
桜島SA 着

お昼が遅かったので晩御飯には少々早い
それでも匂いに誘われて
地鶏焼きを買ってみる

18時10分 発
風雨はどんどくん強くなっている
おまけにF氏が運転交代せずに広島まで帰る
つもりでいるようなので心配だ

一応
いつでも交代できるように
わたしは荷室で先に仮眠をとることにした

・・・・が
♪プッキュキュ プッキュキュ プッキュキュ・・・

ゲームのBGMのような音が聞こえてきて
耳障りで眠れない・・・・
どうやらDVDで「ウサビッチ」を見ているらしい

うー
仮眠中はウサビッチ禁止ー!!

20時08分 
玉名SA 着

このSAには吉野家があるのだ

この先のSAだと
遅い時間になりそうなので
ここで晩御飯にすることにした

F氏・わたし・O氏が注文を終えて
K氏が注文しようとすると
「5分待ってください」と店員が言う
なんと
肉が切れてしまったらしい
吉野家が肉を絶やすとはこれいかに!
しかたないので3人は先に頂くことにした
・・・・なんだか出汁の出枯らしのような
牛肉だな・・・・
鍋の底で最後まで残っていた肉なので
旨みが全部抜けちゃったのか?
結局
五分待たされたK氏の牛丼が一番まともな
味だったようだ・・・・ 

20時39分 発
関門海峡を通過するときが
最も強風に晒されてヤバかった瞬間だった
気温もどんどん下がっている
スタッドレスタイヤを履いてるとはいえ
この強風に雪まで喰らうとたまらない・・・・・

途中
22時23分
王司SAにて休憩
22時30分 発
23時50分
玖珂PA 着
2009年12月30日
0時00分 発


0時20分
廿日市インターチェンジ 着
帰ってきたー

0時52分
K氏宅 着
1時18分
O氏宅 着
1時45分
わたしの自宅 着


1泊3日の強行軍は
なんとか無事に終わりを告げた

 

・・・・・翌朝 外は一面の銀世界になっていた
あんな荒天でも、天気の幸運はまだ続いていたのだ

終わり