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2011年4月5日
7時00分 起床
今朝の車窓
・・・・トラックがw |
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天気は快晴
今日は愛媛のお寺をおおむね周って
明日には高知入りしたい
できれば難所の45番岩屋寺を
越えておきたいところだ
身支度を済ませて
7時38分 発 |
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7時38分 ローソン今治中寺店 着
朝食を買う
今日もバリバリ歩くので
おにぎりでパワーチャージ
8時00分 発 |
第五十五番霊場 南光坊 |
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今治は造船とタオルとやきとりの街
目的地の南光坊は今治市内のど真ん中にある |
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8時14分 南光坊 駐車場 着
南光坊と書いて「なんこうぼう」と読む
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立派な山門
金色に輝く四天王像が目を引く
山門というと仁王像が一般的だが
ここは四天王像が安置されている
八十八ヶ所で唯一の山門だ |
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お寺の正式名は
光明寺金剛院南光坊
末尾に「坊」の字がつくのは
八十八ヶ所でここだけだ
こちらが本堂
本尊は大通智勝如来で
秘仏になっている
大通智勝如来が祀られているのも
八十八ヶ所で唯一南光坊だけだ
オンリーワンづくしのお寺だなw |
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こちらが大師堂
太平洋戦争の戦火にも耐えた
お寺の案内によると
戦争中焼夷弾が降ってきたが
お堂の屋根で滑って焼失を免れたそうだ
避弾経始の良いお堂ということかw |
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お寺の情報
第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊
読み べっくざん こんごういん なんこうぼう
宗派 真言宗醍醐派
本尊 大通智勝如来
開基 行基菩薩
創建 大宝3年 西暦703年
どうでしょう的情報 ロケ地
T・U・V 本堂前
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八部咲きの桜が風に揺れ
山門に映える
8時30分 発 |
第五十四番霊場 延命寺 |
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次の目的地
延命寺も今治市内にある
今治は徳島と並ぶ札所の密集地
ここで寺数を稼いでおきたいところだ |
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小さな山門の横を通り境内へ入る
この山門は
今治城の城門のひとつを
移築したものだそうだ
8時50分 延命寺境内 駐車場 着 |
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元々は「不動院 円明寺」というお寺だったが
松山にある53番円明寺とかぶって
間違えられることが多かったため
明治以降に通称だった「延命寺」に
改名されたそうだ
ちなみに
四国八十八ヶ所には
大日寺が3つ 国分寺は4つある
正面が本堂 |
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大師堂はちょっとした階段の上にある |
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こちらが大師堂
境内には
あせびやつつじが多く植えられていて
花のお寺としても有名らしい |
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お寺の情報
第54番札所 近見山 宝鐘院 延命寺
読み ちかみざん ほうしょういん えんめいじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王(伝行基菩薩作)
開基 行基菩薩
創建 養老4年 西暦720年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 山門前
V 山門前 |
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納経所の横は
お遍路用品の販売店になっている
ここで金剛杖と輪袈裟を購入
9時10分 発 |
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国道196号線を西へ向かう
瀬戸内海が見えてきた |
第五十三番霊場 円明寺 |
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前のクルマの屋根越しに
つぶらな瞳がこちらを凝視している・・・ |
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LPGのタンクローリーのようだ
愛媛だから柑橘系のイメージなのだろうか・・・
都合40分間くらい
見つめられ続けながら松山市に入る |
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10時05分 円明寺駐車場 着 |
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こちらは境内にある楼門(中門) |
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このお寺には大正10年 西暦1921年に
アメリカのスタール博士が発見した
四国霊場最古の銅版製の納め札
(慶安3年 西暦1650年のもの)が
保存されているそうだ
こちらが本堂
本堂正面の右上の鴨居に
5mほどの大きさの龍の彫り物がある
この龍の目は
悪いヤツが近づくと光るという伝説があるそうだ
・・・光るんじゃないかと
ビクビクしながら接近するw
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こちらが大師堂
桜がきれい |
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これはキリシタン灯篭と呼ばれるもの
高さ40cmほど石碑に聖母マリア像が
浮き彫りになっている
案内板によると
この地方は隠れキリシタンが多く
円明寺では隠れ信者たちの礼拝を
黙認していたそうだ
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納経所でご朱印をもらう
一回目の巡礼では墨書きとご朱印をもらうが
二回目以降はご朱印だけを押してもらう
なので
ベテランのお遍路さんの納経帳は
墨書きが見えなくなるほどご朱印が押されて
一面真っ赤に染まっている |
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お寺の情報
第53番札所 須賀山 正智院 円明寺
読み すがさん しょうちいん えんみょうじ
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来(伝行基菩薩作)
開基 行基菩薩
創建 天平勝宝元年 西暦749年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前
10時20分 発 |
第五十二番霊場 太山寺 |
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国道196号線から県道にそれて
伊予和気方面に向かい
堀江港のそばを通って太山寺町に入る |
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10時25分 太山寺駐車場 着
仁王門は国指定重要文化財
結構急な階段だが
山門の横にはお年寄りに優しい迂回路がある |
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境内はとても広い
駐車場から本堂までは400m以上ある |
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こちらは改築された本坊
本坊とは
住職が生活する建物のことだ
事務所や納経所を兼ねているとはいえ
やけにゴージャスな・・・ |
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本堂は例によって急な階段の上
しかし
前日の「横峰さんトレーニング」のおかげで
こんな階段もスイスイ登れる |
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こちらは仏足石
階段を登りきったところにある
お釈迦様の足を模ったもので
デザインは統一されているが
お寺によって大きさはまちまちだ |
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鐘楼は永徳3年 西暦1383年に建てられたもの
県の重要文化財 |
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右手が本堂 嘉元3年 西暦1305年建立
入母屋作り 本瓦葺きで国宝に指定されている
本尊の十一面観音菩薩像は国の重要文化財
奥が大師堂だ
右の看板に「真野長者祭」と書かれている
豊後の国臼杵の真野の長者という人が
一夜で山腹にこのお寺を建てたという
伝説があるそうだ
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こちらが大師堂 |
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このお寺には四国霊場最古の木製の納め札
(安永9年 西暦1780年のもの)が
保存されているそうだ
どこかに四国霊場最古の紙製の納め札が
ありそうな予感がするw
大日如来もひなたぼっこ
毛糸の帽子を被せられ暖かそうだ |
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お寺の情報
第52番札所 龍雲山 護持院 延命寺
読み りゅううんざん ごじいん たいさんじ
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 真野長者
創建 六世紀後半
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 山門前
V 山門前 |
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大きな椿の木がたくさんの花をつけていた
10時40分 発 |
第五十一番霊場 石手寺 |
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路面電車が走る松山市内
西堀端通りを南下して
松山城のそばを通り道後方面へ |
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道後温泉を通過する
ひとっ風呂浴びるには早すぎるか |
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11時32分 石手寺駐車場 着
駐車料200円 |
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仁王門は国宝に指定されている
奥の階段に見えるのは大きな三鈷杵のオブジェ |
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三重塔は重要文化財
この周りで「お砂踏み」という儀式を行う
お砂踏みとは
四国の各霊場からもらってきた砂を敷いて
その上を歩くことにより
八十八ヶ所を周ったのと同じ霊験を得る
というものらしい |
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本堂は鎌倉末期の建立で重要文化財
道後温泉が近いため多くの観光客でにぎわう
ちなみにここ石手寺は
ミシュランガイドの日本版観光地編では
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星ひとつ ついているそうだw |
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こちらが大師堂
別名「落書き堂」とも呼ばれ
夏目漱石や正岡子規が落書きを残したという
お堂に落書きするなんて
1000円札もやんちゃだな・・・
ちなみに現在は壁が塗り直されていて
落書きを見ることはできない |
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お寺の情報
第51番札所 熊野山 虚空蔵院 石手寺
読み くまのざん こくぞういん いしてじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
創建 天平元年 西暦729年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 本堂前の階段 三鈷杵のオブジェ前 |
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ここ石手寺は衛門三郎再来伝説の舞台でもある
衛門三郎については
四国八十八ヶ所逆打ちの旅1二日目
77番道隆寺の項をご参照頂きたい
お遍路の元祖といわれる衛門三郎が
転生の証拠である石を握りしめて
生まれ変わった伝説にちなんで石手寺と
名づけられたそうだ
七転八起の短冊を頂き
願いが叶ったら7つの小石をここに奉納する
ちなみに短冊は一枚500円 |
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こちらは八十八霊場都卒天洞と呼ばれるところ |
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中には八十八霊場と四十九修行場が
再現されていて「お砂踏み」と趣旨は同じのようだ
トンネルを手探りで歩く
実際は真っ暗で
一ヶ所天井が飛び出ているところがあり
頭をぶつけてしまった・・・
まあ
日本人の平均身長が150cm台の頃に
作られた洞窟なので
175cmのわたしが歩けば
頭をぶつけても不思議はない
でも
けっこー痛かった・・・
暗い洞窟を歩く時は
壁側の手を頭の前にかざして
センサーにしながら歩かないと危険だ |
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都卒天洞の出口
寺の裏手の道路に出る
地下マントラって書いてあるな・・・ |
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道路を歩いていくと大回りになるので
また洞内を通って戻る |
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←なんのことだかわからないかもしれないが
仏教ではすべてのことは原因である「因」と
因がもたらす結果が出ることを助ける
「縁」によって成り立っているという
そういう意味なんだろうと思う・・・ |
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全長200mくらいはありそうだ
気をつけないと中央に並べられた仏像につまづく
目が慣れた頃に出口に達して
外光が眩しい・・・ |
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石手寺の参道は回廊式の
ちょっとした門前町になっている
これもここ独特の雰囲気だ |
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さて
石手寺には名物がある
さっそくそれを頂こう |
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石手寺名物 焼きもち
2個170円
要するに焼いたうすい餡もちだ
甘さ控えめで
おやつ程度に食べるならちょうどよい大きさ
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お昼になったので
焼きもち屋の裏の食堂で
昼食を摂ることにする
月見うどん 650円
素朴な味わいでとても美味しかった
食堂の隣の遍路用品屋で笠を買う
どんどん遍路らしい出で立ちになっていく
12時14分 発 |
第五十番霊場 繁多寺(畑寺) |
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石手寺から少し山側に向かう
12時22分 繁多寺駐車場 着
わずか8分で到着
高台にあり
山門からは松山城や瀬戸内海が眺望できる
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温かい日差しの下桜が咲き乱れている
山沿いのさわやかな空気が心地よい |
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奥の本堂から森崎リーダーが「はんたじー!!」と
駆けてくるシーンの舞台
どうでしょうファンには印象深いお寺だ
春はご覧の通りの桜の園だ
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こちらが本堂
本尊は薬師如来
一遍上人ゆかりのお寺でもある |
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おっ
新型の一休さん発見!!
垢抜けたデザインだ
「二休さん」と名づけよう |
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こちらが大師堂
重々しくなく
すっきりとしたデザインだ
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お寺の情報
第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺
読み ひがしやま るりこういん はんたじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
創建 天平勝宝年間 西暦749〜757年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 本堂前
V 本堂前の境内
垢抜けたデザインの「二休さん」を見ると
こちらの元祖一休さんが試作品のように
見えてしまう・・・ |
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ポカポカ陽気の境内には
花見に来た主婦たちの
歓談する声が響いていた
12時35分 発 |
第四十九番霊場 浄土寺 |
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12時43分 浄土寺駐車場 着
これまた8分で到着
この山門の仁王像は目玉がないことで有名だ
境内入り口には正岡子規の句碑がある |
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こちらが本堂
応永23年 西暦1416年の兵火で焼失
文明14年 西暦1482年に
領主の河野氏によって再建されたもので
重要文化財に指定されている
ここにはとても有名な像が安置されている
口から小さな仏様を出している空也の像だ
日本人なら誰でも教科書で見たことがあるはずだ
空也の口から出る小さな7つの仏様は
南無阿弥陀仏の7文字を現しているという
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こちらが大師堂
バックの竹やぶがいい感じ |
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お寺の情報
第49番札所 西林山 三蔵院 浄土寺
読み さいりんざん さんぞういん じょうどじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来(伝行基菩薩作)
開基 恵明上人
創建 天平勝宝年間 西暦749〜757年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前
12時56分 発 |
第四十八番霊場 西林寺 |
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国道11号線を越え
松山自動車道の近くに西林寺はある
13時04分 西林寺駐車場 着
西林寺と書いて「さいりんじ」と読む
このあたりの川には「ていれぎ」と呼ばれる
水草が自生しているらしい
松山市の天然記念物に指定されているが
刺し身のツマなどに使われるそうだ
西林寺には「ていれぎ」を織り込んだ
正岡子規の句碑がある |
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ここは
罪ある者が門を入ると無間地獄に陥ると言われ
「関所寺」と呼ばれている・・・
陥りませんように・・・
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山門から境内を望む
右は手水場
左が鐘楼
奥が本堂
案内によると江戸時代中期に火災で焼失
その後元禄13年 西暦1700年から
天保14年 西暦1843年にかけて
段階的に再建されたそうだ |
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こちらが大師堂
修復されたのか小奇麗になっている |
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お寺の情報
第48番札所 清滝山 安養院 西林寺
読み せいりゅうざん あんよういん さいりんじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 行基菩薩
創建 天平13年 西暦741年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 本堂前
V 山門前 |
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この地方は大干ばつで苦しみ
民衆を救うため弘法大師が
錫杖を突いて水脈を探し
ついに清水を湧き出させたという伝説がある
杖の渕と呼ばれるこの清水は 以来涸れたことがなく
現在では「日本の名水100選」に数えられている
13時15分 発 |
第四十七番霊場 八坂寺 |
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重信川を渡り浄瑠璃町へ入る
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伽藍建設の際
八つの坂を切り開いて道をつけたから
八坂寺というらしい
それにしては平坦なところだが・・・ |
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13時28分 八坂寺駐車場 着
なるほど
ちょっとだけ坂になっているw |
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こちらが本堂
開基は役行者で
1300年の歴史を誇るお寺だ
一時は修験道の根本道場として隆盛を極め
「熊野八坂寺」」と呼ばれて
僧兵まで抱えていたらしい
その後戦火や火災で縮小して
現在の規模に至っている |
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こちらが大師堂 |
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お寺の情報
第47番札所 熊野山 妙見院 八坂寺
読み くまのざん みょうけんいん やさかじ
宗派 真言宗醍醐派
本尊 阿弥陀如来(伝恵心僧都作)
開基 役行者小角
創建 大宝元年 西暦701年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 大師堂前
U 本堂前
V 大師堂前 |
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こちらは閻魔堂
小さなふたつのトンネル「極楽の途」と
「地獄の途」があり
極楽には美しい浄土の光景が
地獄には餓鬼道や畜生道などが描かれている
この他にこのお寺には
衛門三郎の八人の子供を埋葬した八塚がある
13時39分 発 |
第四十六番霊場 浄瑠璃寺 |
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県道194号線は山手に向かうに連れて
どんどん狭くなっていく・・・
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浄瑠璃寺の看板発見
しかし
すぐには入れなかった
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浄瑠璃寺の駐車場へ向かう道は
こんな感じになっている
恐ろしく狭いターンだ
進入を誤ると
トッポでも2回切り返さなければ入れない
大きなクルマは
少し先まで行って広いところで
Uターンして来るしかない
恐怖の「浄瑠璃寺ターン」でしたw |
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13時43分 浄瑠璃寺駐車場 着
境内はまるで林の中のようだ
右側の巨木はイブキビャクシンと呼ばれる
樹齢1000年を越える老木だ
松山市の天然記念物に指定されている
ここにも仏足石と正岡子規の句碑がある
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こちらが本堂
正徳5年 西暦1715年に山火事で焼失したが
天明5年 西暦1785年に住職の托鉢行脚により
復興を遂げた
境内のソテツが南国の雰囲気を醸し出す |
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こちらが大師堂
素朴な雰囲気だ |
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お寺の情報
第46番札所 医王山 養珠院 浄瑠璃寺
読み いおうざん ようじゅいん じょうるりじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
創建 和銅元年 西暦708年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 本堂前
V 入り口前の階段
一休さんは駐車場の片隅で
ボロボロになっていた
曲がった腕が痛々しい・・・
14時00分 発 |
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国道33号線に出るため元来た道を戻っていく
四国チックな狭い道
・・・もう慣れたw |
第四十五番霊場 岩屋寺 |
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三坂峠を越えて久万高原へ
かつて高知に遊びに行くのによく通った峠だ
ひさしぶりでなつかしい |
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さあ
いよいよ四国霊場屈指の難所
岩屋寺にアタックだ
「キャンピングカーと」が追加された看板が
この道で起きた出来事を想像させる |
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14時55分 岩屋寺駐車場 着
駐車料 300円
さあ
ここから登るぞー |
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うぉっ
一休さんの出来の悪いニセモノが・・・
出来が悪いので0.5休さんくらいだなこれは |
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岩屋寺が難所と呼ばれる理由
それは
クルマやバスを使う遍路も
すべての道程を歩く遍路も
等しくこの坂を登らなければならないということだ
つまり
老若男女分け隔てなし
健常者も足腰の悪い人も老人も病人も
みなこの坂を登らなければならない
誰にとってもまさに正念場なのだ |
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どうでしょうのメンバーも
この坂道を
「ありがたいなぁ〜」と言いつつ
山門までは登っている |
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大泉さんが凍結した路面を滑り降りていった坂 |
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大泉さんが凍結した路面に苦労する
嬉野Dに手を貸したところ
現地を実際に見ると
ここが凍結してたら大変だなと
改めて思う |
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山門までやってきた
ここまでは序の口
実はここからが本番だ |
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どこまでも続く階段
お年寄りは手すりにしがみついて
あえぎながら登っている
道は整備されているが
斜度は横峰さんとさほど変わらない |
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森の景色が開けたところで現れる
無数の地蔵 |
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本堂はまだまだ上だ |
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岩屋寺の名にふさわしい
巨大な岩山が視界に入ってくる
ここでも
「横峰さんトレーニング」の成果が発揮され
比較的楽に登りきることができた |
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岩屋寺本堂に到着
明治31年 西暦1898年の大火で全山焼失し
現在の本堂は
昭和2年 西暦1927年に再建されたものだ |
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このハシゴの上に なにがあるのかな?
登ってもいいらしいので
お邪魔することにした |
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おー
絶景かな 絶景かな
意外と高いところだなぁ〜
台上には塑像が建てられていて
賽銭が積み上げられていた |
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その昔
この岩山で修行して
空中を自在に飛行できる神通力を身につけた
法華仙人という女性がいたという伝説がある
こんなところにいると
空も飛べそうな気分だ
たしかに
登ってこなければ見れない景色だが・・・ |
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・・・降りるのは超コワイ
わたし
仙人じゃないし・・・ |
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こちらが大師堂
大正9年 西暦1920年再建
重要文化財に指定されている
弘法大師は
帰依した法華仙人からこの山を譲り受けて
このお寺を開いたそうだ |
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お寺の情報
第45番札所 海岸山 岩屋寺
読み かいがいざん いわやじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
開基 弘法大師
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前 |
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山門まで降りると年配の男性が
手すりにつかまって休憩されていた
「あとどのくらいですか?」と
男性が尋ねるので
「ここでまだ1/3くらいです」と答えた
「1/3ですかぁ〜」と苦笑いしながら
男性は歩き出した
本当はまだ1/6程度だが
もし1/6と言えば男性はここで
諦めたかもしれない
ここまで上がってきたのだから最後まで
たどり着いて欲しいという願いを込めたのだが
余計なお世話だったかなw |
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参道を降りていると
また一休さんのニセモノが・・・
これはもはや0.25休さんくらいだな
15時43分 発 |
第四十四番霊場 大宝寺 |
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目標である岩屋寺突破は達成できた
あとは少しでも数を稼いで
明日を楽にしよう
時間的にもう一寺はなんとか行けそうなので
再び国道33号線に乗り
大宝寺に向かう |
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15時58分 大宝寺駐車場 着
四十四番なので
ちょうど八十八ヶ所の半分に当たり
「中札所」と呼ばれている |
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山門は重厚な雰囲気につつまれている
大宝寺の歴史は大火との戦いの歴史で
開基以来3回も全焼の憂き目を見ているそうだ
明治の大火で仁王門は焼失したが
仁王像は焼失を免れ
昭和27年 西暦1952年に京都で修復されて
現在に至るそうだ |
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長い階段の上に本堂が見える
「横峰さんに比べればこんなの平坦地だよ」
もはや階段や坂道は
「横峰さん基準」で見るようになってしまった・・・
たしかに気楽に登れるが
ダメージは確実に蓄積されていくので
調子に乗っているとこの先痛い目に遭いそうだw
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こちらが本堂
大正14年 西暦1925年に再建された |
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こちらが大師堂
総檜作りで昭和59年 西暦1984年に再建された
一休さんがイカした帽子を被ってる・・・
というより
おじいちゃんの忘れ物か? |
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前掛けを着けたお地蔵さんは
みんな賽銭を入れるザルをぶら下げている
なんとなくユニークw
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お寺の情報
第44番札所 菅生山 大覚院 大宝寺
読み すごうざん だいかくいん たいほうじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 明神右京・隼人
創建 大宝元年 西暦701年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前 |
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境内には巨大な老木が林立している
大火にも負けず
まっすぐに伸びた巨木を見上げていると
己の丈の小ささに気づかされる
丈とは
身の丈のことだけではない・・・ |
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悠久の森を抜けて
光差す俗世へと帰る
16時23分 発 |
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再び三坂峠を越えて松山へ戻り
国道56号線で内子方面に向かう
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陽が傾き始めた
次の43番明石寺までは遠い
今日はその途中まで行って車中泊しよう |
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17時58分
道の駅 内子フレッシュパーク 着
車中泊に適している道の駅かどうか偵察する
やたら明るかったり
若造の溜まり場だったり
幹線道路が近すぎると安眠できない
あと
トイレや洗面所
自動販売機などの施設もチェックだ
・・・うん
ここなら静かでよさそうだ
目の前が川なのでちょっと寒いかも・・・ |
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宿営地が決まったので
買い出しに出かける
まずはガソリンの確保から
ガソリン価格高騰の折
今回は全行程レギュラーで通してみる
もともとレギュラー仕様だしw
Dr.Drive内子店にて給油
走行距離376.8km
給油量 レギュラー24.5リットル
3822円
燃費 15.37km/リットル
山地を行ったり来たりしてる割には
まずまずの燃費か?
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ショッパーズ内子店で買い物
18時24分 道の駅に戻る
ししゃものてんぷら
おいしゅうございましたw
明日の分の納め札を書いて
たぶん22時ごろ就寝・・・ |