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2011年4月7日
5時50分 起床
朝の桜もまたきれいだ・・・ |
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今日の目標は
室戸岬にある最御崎寺に到達することだ
できれば徳島入りしておきたいが
今日のルートは区間の移動距離が長く
難所のひとつ神峰寺も控えているので
難しいかもしれない・・・
6時46分 発 |
第三十四番霊場 種間寺 |
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国道194号線を南下
高知自動車道の下をくぐり
国道56号線を越え
県道279号線で
のどかな田園風景の広がる春野町へ |
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7時25分 種間寺駐車場 着
ただっ広い駐車場にトッポだけ・・・ |
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寺伝によると
創建は用明天皇の在位中 西暦585〜587年
航海の安全を祈願して作られたようだ
その約200年後
弘法大師が弘仁年間 西暦810〜824年に訪れ
仏師が作った薬師如来を本尊に据え開基したと
いわれている
その際唐から持ち帰った五穀 米 麦 粟 黍
稗(豆という説もあり)を境内に撒いたので
種間寺という名前になったそうだ
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こちらが本堂
コンクリート造り
本尊の薬師如来坐像は国指定重要文化財
「安産薬師さん」として有名だそうだ
ここには
「底抜け柄杓」という人気の祈祷がある
妊婦が柄杓をもってお参りすると
寺では底を抜いて祈祷して返す
妊婦はその底の抜けた柄杓を床の間に飾り
無事に安産すれば柄杓を寺に納めるのだそうだ
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こちらが大師堂
正面の棟木の龍のデザインは
なかなか見ごたえがある
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お寺の情報
第34番札所 本尾山朱雀 院 種間寺
読み もとおざん しゅじゃくいん たねまじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
開基 弘法大師
創建 弘仁年間 西暦810〜824年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 大師堂前
U 本堂前
V 入り口の石碑前 |
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澄んだ空気の中
少ししだれた桜の木が花を揺らしていた
7時37分 発 |
第三十三番霊場 雪渓寺 |
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こんなところにアメリカがっ!!
・・・はいはい
細かいネタも拾っていきますよ〜 |
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県道278号線を東進
7時53分 雪渓寺駐車場 着 |
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四国八十八ヶ所ではふたつしかない
臨済宗のお寺だ
一時は荒廃していたが
当時土佐領主 長宗我部元親によって再興された
こちらが本堂
本尊の薬師如来をはじめ堂内の諸仏像は
鎌倉時代のもので重要文化財に指定されている
中でも毘沙門天 脇侍吉祥天
善膩師童子(ぜんにしどうじ)の立像は
運慶の長男 湛慶の作で数少ない湛慶の真作として
貴重なものらしい |
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こちらが大師堂
お寺が荒廃していた頃
ここには妖怪が住んでいたらしく
月峰というお坊さんが待ち構えたところ
泣きながら俳句の下の句を読む妖怪が現れたので
その俳句の上の句を考えて次の夜に読んでやると
妖怪は出なくなったという伝説があるそうだ
風流な妖怪だw |
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お寺の情報
第33番札所 高福山 雪渓寺
読み こうふくざん せっけいじ
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
開基 弘法大師
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報 ロケ地
T 本堂前
U 入り口前
V 入り口前
8時03分 発 |
第三十二番霊場 禅師峰寺 |
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県道14号線 通称黒潮ラインへ出て
海岸線を浦戸大橋に向かう
浦戸大橋は大渋滞
桂浜が近いので交通量が多いのか? |
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8時25分 禅師峰寺駐車場 着
禅師峰寺と書いて「ぜんじぶじ」と読む
大きな十一面観世音菩薩像がお出迎え
本尊も十一面観世音菩薩なので
高齢者など高台にあるお寺に上がれない人たちも
拝めるようにとの配慮かもしれない
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地元では「峰寺」と呼ばれ
「禅師峰寺」では通じないことさえあるらしい
また
このお寺が海の安全を祈願して作られたことから
「船魂の観音さま」として漁業関係者の信仰を
集めている |
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急だが段の幅が広く
登りやすい参道の階段 |
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階段を登ったところに仁王門がある
中の金剛力士像は鎌倉時代の仏師 定明の作で
国指定重要文化財
ここからもう少し階段が続く |
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境内は奇妙な形の岩石がたくさんあり
どことなく神秘的だ
お堂は密集していてこじんまりとした雰囲気だ |
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こちらが本堂
境内からは遠く桂浜を望むことが出来る
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こちらが大師堂
時計が妙に印象的 |
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お寺の情報
第32番札所 八葉山 求聞持院 禅師峰寺
読み はちようざん ぐもんじいん ぜんじぶじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 行基菩薩
創建 大同2年 西暦807年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 大師堂前
V 山門前 |
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お寺の片隅には
なぜかタヌキ像
8時40分 発 |
第三十一番霊場 竹林寺 |
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県道376号線で竹林寺のある五台山へ向かう |
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五台山の道は一方通行
対向車を気にせずに走れる |
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8時59分 竹林寺駐車場 着
傍には世界的有名な植物学者 牧野富太郎博士の
生前の希望で建設された
高知県立牧野植物園 がある
わたしも父にもらった牧野植物図鑑を
よく持ち歩いていた |
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竹林寺には重要文化財がたくさんある
この宝物殿もそのひとつ
本堂をはじめ
納められた諸仏のほとんどが重要文化財だ
庭園は国の名勝に指定されている
そのため
巡礼者だけでなく一般の観光客もたくさん訪れる
四国八十八ヶ所では善通寺に肩を並べる観光地だ |
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こちらは高知の皿鉢料理に見立てた花壇
盛られてるなぁw |
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五重塔は昭和55年 西暦1980年の建立
高さ31.2mメートル
総檜(ひのき)造り |
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室町時代に建立された入母屋造柿(こけら)葺きの
本堂は残念ながら改修工事中 |
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こちらが大師堂
寛永21年 西暦1644年山内忠義によって建立された
団体のお遍路さんたちが
お堂の裏に回って行ったが・・・
なにかあるのだろうか?
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お寺の情報
第31番札所 五台山 金色院 竹林寺
読み ごだいさん こんじきいん ちくりんじ
宗派 真言宗智山派
本尊 文殊菩薩
開基 行基菩薩
創建 神亀元年 西暦724年
どうでしょう的情報 ロケ地
T 山門前
U 本堂前
V 山門前
木漏れ日の石段をゆっくりと降りていく・・・
9時15分 発 |
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高知市内を通過して北上
県道384号線で次の目的地 善楽寺に向かう |
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こんなところにフィリピンがっ!!
年配者にしかわからないネタか・・・
ちなみに「ひしま」です |
第三十番霊場 善楽寺 |
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善楽寺への最後のアプローチは
トッポで横幅ギリギリの狭い道だった・・・ |
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9時47分 善楽寺駐車場 着
住宅の密集地の中に忽然と現れる広い空間 |
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こちらが本堂
昭和58年に改築された
大師堂は本堂の左にある
ここ善楽寺は明治初期の廃仏毀釈のため廃寺に
なった
そこで明治8年 西暦1875年に復興した安楽寺が
第30番札所になったが
昭和4年 西暦1929年 善楽寺も復興する
そのためどちらが正統な30番札所か論争になり
しばらくの間30番札所がふたつ並立する形になる
平成6年 西暦1994年 安楽寺が奥の院という形で
善楽寺の30番札所が確定になったそうだ
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うぉっ
なんだこいつはっ!
一休さんとは明らかに違うこの表情
なんだかバカにされてるような・・・
おまえなんか
0.1休さんで十分だ!w |
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お寺の情報
第30番札所 百々山 東明院 善楽寺
読み どどざん とうみょういん ぜんらくじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
開基 弘法大師
創建 大同年間 西暦806〜810年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 本堂前 |
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駐車場の傍の無人スタンドで売られていた
徳谷トマト 一袋200円
運転しながらおやつ代わりに食べた
濃厚な味でとても美味しかった
9時59分 発 |
第二十九番霊場 国分寺 |
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10時24分 国分寺駐車場 着
周りは田園風景が広がるのどかな地
水路沿いの白壁に沿って山門へと向かう |
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仁王門
明暦元年 西暦1655年 藩主山内忠義が建立し
昭和2年 西暦1927年に改修されてたそうだ |
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「土佐日記」で有名な紀貫之がここから1kmほどの
ところにあった国府に国司として勤めていたという |
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ここも桜の園になっていた
夏はあじさい
秋には萩が咲き誇る花のお寺だ
また
古代の国分寺で塔の礎石になっていた石を
中心にした杉苔が美しい庭園があり
「土佐の苔寺」ともいわれるそうだ |
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こちらが 本堂
重要文化財に指定されている
柿(こけら)葺き 寄棟作り
室町時代の様式だ
幼稚園児たちはお花見かな?
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こちらが大師堂
寛永11年 西暦1634年の建立 |
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お寺の情報
第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺
読み まにざん ほうぞういん こくぶんじ
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観世音菩薩
開基 行基菩薩
創建 天平13年 西暦741年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前 |
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暖かな日差しに舞う花びら
春爛漫
10時45分 発 |
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土佐くろしお鉄道の線路に沿って
県道384号線を東進する |
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道端にはでかい竜馬がおったがじゃ!!(エセ土佐弁) |
第二十八番霊場 大日寺 |
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大日寺名物 道路障害物w
普通車でギリギリの幅しかない
大型車を入れないためだろうが
それにしても大胆な障害物だ
大型車で来た人は上り口前の空き地に停めて
歩いて上がるしかない |
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その先の道路は
なるほど大型車に入ってこられると面倒な狭さだった |
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11時10分 大日寺駐車場 着 |
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階段の途中に建つ山門
サンシュユ こぶし しだれ桜 万両などの花が咲き
四季を通して花を楽しめるお寺としても有名らしい
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こちらが本堂
本尊の大日如来像は全高146cmの寄木造りで
行基作の仏像としては中四国最大級だそうだ |
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大師堂
創建後 寺は荒廃していたが
弘仁6年西暦815年 弘法大師が爪で楠の立木に
薬師如来像を彫り これを祀って復興させたそうだ
爪で仏像を彫るとは・・・すごいエピソードだ
この楠は「爪彫り薬師」として親しまれていたが
明治初期に大風で倒れた
現在はお堂が霊木として祀られている
首から上の病に霊験あらたかということだ |
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お寺の情報
第28番札所 法界山 高照院 大日寺
読み ほうかいざん こうしょういん だいにちじ
宗派 真言宗智山派
本尊 大日如来
開基 行基菩薩
創建 天平年間 西暦729〜749年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 大師堂前
V 山門前
11時25分 発 |
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元来た道を下る
道幅が狭いというよりも
カーブが狭いので大型車は通れそうもない・・・ |
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こんなところに和食が!!
ちなみに「わじき」です
国道55号線を海岸線に沿って進む
安芸市を通過し
いよいよ本日の難所 神峰寺へと向かう |
第二十七番霊場 神峰寺 |
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「真っ縦」と呼ばれる急な山の斜面を登る
四国霊場屈指の難所として有名なところだ
地元のジャンボタクシーの後ろを追走しながら
急な坂道を登っていく
時々ギヤをローに入れないと登りきれないほどの
急勾配の上に路面が荒れていて
タイヤが悲鳴を上げる・・・
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12時45分 神峰寺駐車場 着
神峰寺と書いて「こうのみねじ」と読む
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この神峰寺に
三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母親が
20km離れた家から急な坂道を21日間日参して
息子の出世を祈願したという逸話は有名だが
実際に来てみるとそれが超人的な行いだったことを
実感できる・・・
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ジャンボタクシーで乗り付けた団体さんがいるので
混雑を避けるため先に納経所でご朱印をもらう
お参りをしてからご朱印をもらうのが
順序としては正しいので
お寺によっては
お参り後でないとご朱印をくれないところもある |
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長い長い石段が続く
石段の周りは整備された日本庭園になっている
樹齢数百年の大樹も立ち並び
登っている間も目を楽しませてくれる
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標高450mからの景観
遠く太平洋を眺望することができる |
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本堂は改修工事中だった
このお寺も明治初期の廃仏毀釈で
天照大神を祀る神峰神社のみが残り
本尊を金剛頂寺に預けて一時廃寺になっていた
大正時代に数々の苦難の後に復興したという |
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大師堂は少し離れたところにある |
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こちらが大師堂
近年改築された
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お寺の情報
第27番札所 竹林山 地蔵院 神峰寺
読み ちくりんざん じぞういん こうのみねじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩(伝行基作)
開基 行基菩薩
創建 天平2年 西暦730年
どうでしょう的情報 ロケ地
T・U・V 山門前
13時12分 発 |
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帰り道ももちろん
タイトで急勾配の連続カーブ
すっかり慣れてしまいましたw |
第二十六番霊場 金剛頂寺 (西寺) |
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国道55号線を南下していく
「四国端っこの旅」のときに車中泊した
道の駅 キラメッセ室戸を通過して
海岸線から山手に入り
細い峠道を登っていく・・・ |
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13時57分 金剛頂寺駐車場 着
どうでしょうで大泉さんが駆け下りていた厄坂
階段の段数を年齢に見立てて
厄年や祝いの年にあたる段に
小さな石碑が立っている
その気になれば
駆け上がったり駆け下りたりできるが
人のいない時に手すりを持ってやって頂きたい
もちろん自己責任でw |
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山門には大きなわらじが奉納されている
金剛頂寺は室戸三山のお寺のひとつとして
「西寺」とも呼ばれているそうだ |
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こちらが本堂
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重厚な扉の上に
瑠璃光殿の文字が躍る
瑠璃色の光に満ちた世界とは
どんなだろう・・・ |
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弘法大師が炊いた米が一万倍に増えて
人々を飢えから救ったという伝説が残る
一粒万倍の釜
「一粒で300m」どころではないw
イエス・キリストが少量のパンを
数千人に分け与えるお話にどこか似ている |
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こちらが大師堂 |
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お寺の情報
第26番札所 龍頭山 光明院 金剛頂寺
読み りゅうずざん こうみょういん こんごうちょうじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 薬師如来
開基 弘法大師
創建 大同2年 西暦807年
どうでしょう的情報 ロケ地
T 本堂前
U 厄坂
V 厄坂
14時15分 発 |
第二十五番霊場 津照寺(津寺) |
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国道55号線をさらに南下して
小さな港町 室津にやってきた |
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14時31分 津照寺前着
津照寺と書いて「しんしょうじ」と読む
朱塗りの山門
津照寺は「津寺」とも呼ばれているそうだ |
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山門を入った場所からの光景
長い石段の途中にユニークな形の鐘楼門が見える |
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船の舵輪の紋章が漁師町のお寺らしい
舵輪の印はこちらの本尊の伝説にも由来する
門の上は鐘楼になっていて
両脇には仁王像が安置されている |
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海からの強風が吹きすさぶ・・・
さすがに年間126日も強風が吹くといわれる
室戸岬に近いだけのことはある
急な125段の石段を登り切ると
ようやく建物が見えてくる |
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こちらが本堂
一見お寺には見えないが・・・ |
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中は地蔵菩薩が祀られた立派なお寺だ
こちらの地蔵尊は「楫取地蔵」(かじとりじぞう)と
呼ばれている
その昔
山内一豊公が室戸岬沖を船で航行中
暴風雨に見舞われた
その時どこからともなく僧侶が現れ
船の舵をとって無事にこの室津の港へと
避難することができた
安心して見回すと僧侶の姿はなく
とりあえず津寺(津照寺)にお参りしたところ
本尊が潮水で濡れていたという伝説に由来するそうだ
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大師堂は麓にある |
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お寺の情報
第25番札所 宝珠山 真言院 津照寺
読み ほうじゅざん しんごんいん しんしょうじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 地蔵菩薩(楫取地蔵)
開基 弘法大師
創建 大同2年 西暦807年
どうでしょう的情報 ロケ地
T 階段途中の鐘楼門(鐘楼)前
U 階段途中の鐘楼門(鐘楼)前
V 階段
14時46分 発 |
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再び国道55号線に出て南下
道路の奥に見える山が室戸岬だ |
第二十四番霊場 最御崎寺(東寺) |
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山の斜面に作られた
ひときわ急勾配な道路
そうですよ
あそこを登るんですよ・・・
わかりやすいでしょ? |
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お馴染みの急勾配の連続カーブを登ると
ほーら あっという間に絶景の国っ!
太平洋〜!! 水平線〜!! |
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14時56分 最御崎寺駐車場 着
最御崎寺と書いて「ほつみさきじ」と読む |
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「四国端っこの旅」でも訪れたこの地に
まさか遍路になって再びやって来るとは
夢にも思わなかった・・・ |
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参道は室戸岬灯台へ向かうのと同じ道だ
潮騒と風の音がなつかしいな・・・ |
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最御崎寺の仁王門
前回来た時は金剛力士像が修理中で留守だったが
今回はちゃんとご在宅のようだw |
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虚空蔵菩薩の石像が静かに佇んでいる |
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こちらは鐘楼
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最御崎寺の除夜の鐘は
NHKの大晦日番組「行く年くる年」に
何度も登場している
これは鐘楼の傍にある放送記念碑 |
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相撲の土俵なんかもある
奉納相撲でもやるのかな? |
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本堂
本尊の虚空蔵菩薩像は秘仏
本堂の横には
「空海の七不思議」という逸話に登場する
クワズイモの畑がある
むかし 地元の者がいもを洗っているところへ
空海(弘法大師)が通りかかり
そのいもを分けてくれと頼んだが地元の者は
「これは食えないいもだ」と言って渡さなかった
それ以来本当に食えないいもになったというお話だ |
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こちらが大師堂
手前の岩は
叩くと金属のような音がすることから
「鐘石」と呼ばれるもの
実際に叩いてみると
金属っぽい軽い響きがしておもしろい
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こちらは多宝塔
海に近いせいか色が白んでいる
最御崎寺(ほつみさきじ)の寺号は
「火つ岬」(火の岬)という意味らしい
つまり灯台(昔は狼煙やかがり火)のあるお寺という
意味だろう |
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お寺の情報
第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺
読み むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 虚空蔵菩薩
開基 弘法大師
創建 大同2年 西暦807年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 本堂前 |
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「よくお参りくださいました」という意味だが・・・
「ようっ! おまいりっ!」・・・みたいな感じだな
15時25分 発 |
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これで「修行の道場」高知県のお寺は
すべて周った
「発心の道場」徳島県へと向かう
なにせ逆周りなので
「発心」が一番最後になるw |
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室戸岬には
中岡慎太郎の像があるがじゃ!!(エセ土佐弁) |
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室戸岬は
岩がごつごつしてるがじゃ!!(エセ土佐弁)
この近くには
弘法大師が若い頃修行されち言われる
御厨人窟(みろくど)っち呼ばりゅう
洞窟があるがじゃ!!(エセ土佐弁)
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徳島に続く国道55号線の紀伊水道側は
だーれも
走っとらんかったがじゃ!!(エセ土佐弁) |
第二十三番霊場 薬王寺 |
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徳島県に入ったのでエセ土佐弁は終わりw
徳島の言葉は関西弁に限りなく近い
出来れば徳島県内でもう一寺周っておきたいが
時間的にギリギリ間に合うかどうかといったところだ
最後の一寺がどこで終われるかで
翌日からの巡礼予定も大きく変ってくる |
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16時49分 薬王寺駐車場 着
ギリギリ間に合ったー!!
履歴書の「特技」のところに
「朝イチの貸切と滑り込みセーフ」と書いておこうw
納経所の終了時間が迫っているので
先にご朱印をもらってからゆっくりとお参りする |
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階段を登るごとに
見事な桜の花が目に飛び込んでくる
良い時期に来たなあ〜 |
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最初の石段が「女厄坂」で33段
続く急勾配の石段が「男厄坂」で42段で
さらに本堂から塔までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれ
61段になっているそうだ
参拝者は1段ごとに階段の隅に賽銭をあげながら登る |
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文治4年 西暦1188年大火で諸堂を焼失したが
このとき本尊は光を放ちながら飛び去り
奥の院の玉厨子山に自ら避難したという
伝説があるそうだ
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正面には日和佐城
模擬天守だが風情があって良い |
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山腹一面を桜が覆う
ここの景色は圧巻だ
一番上の塔は「瑜祇塔」(ゆぎとう)という
高さ29メートルの楼閣
屋根に五本の相輪が立っていて
台が四角でお堂が円形という変った形をしている |
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お寺の情報
第23番札所 医王山 無量寿院 薬王寺
読み いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ
宗派 高野山真言宗
本尊 厄除薬師如来(伝弘法大師作)
開基 行基菩薩
創建 神亀3年 西暦726年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前 |
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高野山のマスコットキャラクター
こうやくん
・・・かわいいじゃねーかw
こうやくん
高野山開創1200年記念大法会イメージキャラクター
職業:高野聖/こうやひじり(修行僧)
住所:和歌山県(日本)高野町
趣味:人とのふれあい高野山の魅力を人々にお伝えする
好きな食べ物:高野豆腐
性格:賢くしっかり者 時にうっかりすることも
特技:出会った人を笑顔にする
(こうやくん日記より)
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本日はこれにて打ち止め
17時39分
駐車場のそばにある 湯元 薬王寺温泉で入浴
こちらも弘法大師ゆかりの温泉だ
泉質 含硫黄・ナトリウム塩化物冷鉱泉
いい湯でした
入浴料600円 |
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薬王寺の近くには道の駅日和佐があり
周辺にはコンビニやレストラン うどん屋などもある
先ほどの薬王寺温泉もあるし
車中泊にはもってこいの場所だ
ただし
JR牟岐線の日和佐駅に隣接しているため
時々列車が通る
ここでヘンな衝動に駆られる
「まずいラーメンが食いたい」
近くに全国チェーンのラーメン屋があったので
そこでみそラーメンを食べる
・・・まずかった
近くのコンビニで明日の朝食を調達
8時18分
道の駅 日和佐 着
たぶん20:00ごろ就寝・・・・
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