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2011年4月8日
6時00分 起床
どんよりと濃い灰色の雲が迫ってくる
天気予報では
今日は一日中雨 ところによって雷雨・・・ |
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昨日コンビニで買っておいた食糧で朝食
雨が降ると巡礼のペースも落ちるだろう
今日は目標を定めず「行けるところまで」としよう
・・・できれば
今日12番焼山寺を超えておけば
明日中にコンプリートできるのだが・・・
努力目標ということにしておこう |
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今日は山の上のお寺が多い
雨が強くなると辛いかもしれない・・・
6時54分 発 |
第二十二番霊場 平等寺 |
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国道55号線を阿南市方面へ
県道284号線に乗り新野に向かう
雨が本格的に降り始めた |
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7時22分 平等寺駐車場 着 |
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境内の様子
手前の左側が大師堂
右が納経所
中央一段上の建物が本堂
健脚に霊験あらたかということで
このお寺で歩けるようになった人たちが
納めていった箱車や
いざり車(車輪のついた歩行補助具)が
残されている |
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こちらが本堂
弘法大師がこの地で修行をしていると
五色の雲の中に黄金の梵字が浮かび
薬師如来が現れた
喜んだ弘法大師が
加持水を求めて杖で井戸を掘ったところ
乳のような白い霊水が湧き出したという
現在でもこの霊水は湧き出ているが
無色透明だそうだ
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お寺の情報
第22番札所 白水山 医王院 平等寺
読み はくすいざん いおういん びょうどうじ
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
開基 弘法大師
創建 弘仁5年 西暦814年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前 |
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本堂の鮮やかな天井画は有名だ
現在でもその色彩を失っていない
必見です |
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雨がそぼ降る朝のお寺
今日は厳しい巡礼になりそうだ
7時41分 発 |
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県道284号線の終端まで行き
国道195号線に乗り西進
次の太龍寺へはロープウェイで行く |
第二十一番霊場 太龍寺 |
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那賀川を渡り
7時59分
道の駅 鷲の里に隣接した
太龍寺ロープウェイ 山麓駅駐車場に到着
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太龍寺ロープウェイ山麓駅
朱色の欄干の橋の下を覗き込むと
鯉が優雅に泳いでいる |
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窓口で往復切符を買って
出発まで時間があるので
鯉にエサをやってヒマをつぶす
鯉のエサやりは
漠然とやるのではなく
鯉の群れを自分の思い通りの場所に
誘導するのが醍醐味だ
鯉のえさ 100円 |
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例によって誰もいない・・・
ロープウェイに乗るといつもひとりってのは
運命なのか? |
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ホールのテレビで
天気予報を再確認
やっぱり一日中雨になってるなぁ・・・ |
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太龍寺ロープウェイ 往復2400円
全長2.7kmでその長さは西日本最大
ただ斜面を登るだけでなく
二つの山を越えていく珍しいロープウェイだ |
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この中央の座席は
強風時などにゴンドラを安定させるための
錘(おもり)だそうだ
小さいが重さはひとつ1トン近くあるそうだ |
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全長が2.7kmもあるのに
支柱はたった2本だけ
急角度のため
第一支柱を越える時は大きく揺れるので
減速して運転される |
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第一支柱を越えると
深い谷の上を
第二支柱のある次の峰まで進んでいく
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中間地点で下りのゴンドラと行き交う
誰も乗っていないなぁ〜
ガイドさんも
「いつもならお遍路さんの団体で満員になってる
時間だ」と言っていた
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第二支柱を越えると今度は下りになる
太龍寺駅が見えてきた
到着時にちょっと揺れるのでご注意
大泉さんのような大きなリアクションをとる
ほどではないw |
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ロープウェイの駅を出るとすぐに
太龍寺の入り口 |
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階段を登ると重厚な本堂が見えてくる |
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多宝塔には
五大虚空蔵菩薩像が安置されているそうだ |
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ここから覗くと次に行く鶴林寺が見えるらしい |
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おー
あんな山の上にあるのか・・・ |
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こちらが大師堂
樹齢数百年の杉や檜に囲まれて
ひっそりとたたずんでいる |
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お寺の情報
第21番札所 舎心山 常住院 太龍寺
読み しゃしんざん じょうしゅういん たいりゅうじ
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
開基 弘法大師
創建 延暦12年 西暦793年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 自然公園の看板前 未到達
U 本堂に上がる階段
V 22番平等寺の山門前 未到達 |
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紫木蘭(しもくれん)が
納経所の前庭に見事な花を咲かせている |
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帰りは黄色いゴンドラ
例によって
他に誰も乗っていない・・・
ひとりだと気楽なように思えるが
ガイドさんの説明にひとりで受け答えしていると
ゆっくり景色が見られないという欠点もあるw |
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弘法大師が
100日間修行したといわれる舎心嶽には
高さ2mの弘法大師坐像が
安置されているらしいが
雨でよく見えない・・・ |
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遠くの景色もすっかり見えなくなってしまった
ちなみに徒歩で太龍寺に行こうとすると
那賀川からとてつもなくキツい3kmの山道を
3時間登らなければたどり着けないそうだ
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この岩の上には
このあたりに生息していた狼の群れの像が
設置されている
この像まで山道が続いていて
年に一度くらい
この狼像にまたがって
ロープウェイに手を振る人がいると
ガイドさんが言っていた |
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大きくうねって流れる那賀川
全長125kmで
徳島県内では一番長い川だ
夏はカヌーの大会などが開かれているそうだ
また
近郷ではいちごの栽培が盛んで
「那賀川美人いちご」という大粒のものが有名
1粒で300円前後という高級ブランドいちごだ
9時15分 発 |
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県道19号線を那賀川沿いに進む |
第二十番霊場 鶴林寺 |
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鶴林寺への道は
例によって急勾配の狭い連続カーブ
樹木が鬱蒼としていて薄暗いところもある
ここも「お遍路ころがし」の名所だ
むかし脱獄囚がこの山に逃げ込んだが
あまりの険しさとわびしさに耐えられず
自分から刑務所に戻ったという話があるらしい
うねうねと登り続けて
ようやく山頂の目的地が近づく |
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9時33分 鶴林寺駐車場 着
鶴林寺と書いて「かくりんじ」と読む
子供の頃
「つるりんじ」と読んで
父に爆笑された思い出があるw |
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山門を入るとすぐ右手に
六角堂がある |
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標高550mの山頂に建つお寺だ
苔むした岩肌が
悠久の時を感じさせる |
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お釈迦様が説法をした霊鷲山というところに
境内の雰囲気が似ていることから
同じ山号がついたそうだ
なるほど
俗世離れしたなんともいえない
聖域の雰囲気が漂っている
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こちらが本堂
本尊は波切地蔵尊
36番青龍寺の波切不動明王と同様の
難破しそうになった船を救った逸話が残っている |
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大きな鶴の像が両脇に立っている
弘法大師がこの山で修行中
ひとつがいの白鶴が杉の木の傍で
かわるがわる翼を広げて
金色の地蔵尊を守っているのを発見したのが
このお寺の始まりだそうだ
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向かい合わせの鶴はそれぞれポーズが違う
大きいので実際に見ると迫力がある |
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お寺の情報
第20番札所 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
読み りょうじゅざん ほうじゅいん かくりんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建 延暦17年 西暦798年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 通行止めの看板前 未到達
U 山門前
V 山門前 |
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しとしとと降る雨も
ここでは風情の一要素
時間の許す限り
この静かな境内に留まっていたくなる・・・
9時50分 発 |
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途中
10時25分 コスモ石油
田中石油 立江SSにて給油
走行距離348.5km
給油量 レギュラー21.0リットル
3175円
燃費 16.59km/リットル
10時30分 発
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第十九番霊場 立江寺 |
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県道19号線 県道22号線 県道28号線を通り
小松島市へ
10時34分 立江寺駐車場 着
駐車料 300円 |
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ここも悪人が入るとバチが当たる「関所寺」だ
「あなたは善人か?悪人か?」
と聞かれたら・・・
「小悪人」としか答えようがない
中途半端なわたしです・・・
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・・そのむかし
夫を殺して愛人と逃亡した女が遍路に身をやつし
この寺に入ったところ
女の長い髪が突然逆立ち
お堂の前に垂れていた鉦の太い緒に巻き取られ
女は中高く吊り上げられてしまったという
女が懺悔すると長い髪は肉ごと剥げて
鉦の緒に残り 転落した女は
一命を取り留めたという恐ろしい逸話が
残っているそうだ・・・
ひぃ〜
怖いよ〜!!
「小悪人」はビクビクしながらお参りするw |
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こちらが本堂
本尊の地蔵尊はは元々全高5.5cmほどの
ミニサイズだったらしい
弘法大師が
「あまり小さいと後世失われる恐れがある」と
等身大の像を彫り
ミニサイズの本尊をその中に納めたのだそうだ |
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こちらが大師堂
大師堂の脇に
「肉付き鐘の緒の黒髪堂」という小さな祠がある |
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お寺の情報
第19番札所 橋池山 摩尼院 立江寺
読み きょうちざん まにいん たつえじ
宗派 高野山真言宗
本尊 延命地蔵菩薩
開基 行基菩薩
創建 天平19年 西暦747年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 山門前
V 山門前 |
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・・・その後
女は恋人とともに過ちを懺悔して
真人間となり仏道に精進したという・・・
恐ろしい「関所寺」の逸話が残るお寺だが
地元では
「子安の地蔵尊」「立江のお地蔵さん」と
呼ばれて親しまれているそうだ |
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桃色のしだれ桜が三部咲き
10時45分 発 |
第十八番霊場 恩山寺 |
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国道55号線から左折して
細い道へと入っていく |
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11時01分 恩山寺駐車場 着
恩山寺と書いて「おんざんじ」と読む
雨模様は少し落ち着いたようだ |
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入り口前に立つ
弘法大師像
背景の桜の見事さに圧倒される |
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弘法大師が母親である玉依御前にこの地で
親孝行したという伝説が残る
親の恩に報いたお山で恩山寺というらしい |
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左手が大師堂
右手の小さなお堂は玉依御前が祀られている
玉依御前は仏の啓示を受けて弘法大師を
受胎したという
真言宗での聖母マリアのような存在だ
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石段の上に見えるのが本堂
お寺の情報
第18番札所 母養山 宝樹院 恩山寺
読み ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
創建 天平年間 西暦729〜749年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 入り口前 |
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お参りを済ませ
ふと見下ろすと
年季の入った床板が目に入る
この上で幾人の人が
手を合わせてきたんだろう・・・
11時23分 発 |
第十七番霊場 井戸寺 |
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国道55号線で徳島市内に入る
再び雨が降ってきた
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国道192号線で府中(こう)へ
そこから県道29号線で井戸寺へ
12時01分 井戸寺前 着
駐車場がわからなかったので
山門前にベタづけにする |
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井戸寺の仁王門
近年改築されたが元々は武家屋敷から
移築したものだったらしい |
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右手が本堂
昭和43年 西暦1968年に焼失
3年後に再建されたコンクリート造りの建物
左手はは日限大師と呼ばれるお堂で
石造の大師像が安置されていて
「水大師」とも呼ばれているそうだ
日数を限って日参すれば
ご利益があるといわれているそうだ
また
傍には「面影の井戸」呼ばれる井戸がある
覗き込んで自分の姿が映れば無病息災
映らなければ3年以内に災厄が訪れるという
覗くには少々勇気がいる井戸だ
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本尊は3m近い大きな薬師如来像
堂内には7体の薬師如来像が安置されている |
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こちらが大師堂
水に困っている人々のために
弘法大師が杖で一夜にして井戸を掘ったことから
このあたりを井戸村と呼ぶようになり
井戸寺というお寺の名前になったそうだ |
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こちらは六角堂
平安時代初期の十一面観世音菩薩像が
祀られている
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お寺の情報
第17番札所 瑠璃山 真福院 井戸寺
読み るりざん しんぷくいん いどじ
宗派 真言宗善通寺派
本尊 七仏薬師如来
開基 天武天皇
創建 白鳳2年 西暦673年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 山門前
V 本堂前 |
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おおっ
新しい小坊主登場!
これは一休さんとは違ってスポンサー付きだ
「福耳小僧」とでも名づけておこう
12時16分 発 |
第十六番霊場 観音寺 |
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県道29号線を引き返し
県道123号線で観音寺へと向かう
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12時24分 観音寺駐車場 着
とても狭い路地の途中にある
お寺の前の駐車スペースも狭いのでご注意
小さなお寺だが鐘楼門は重厚で
お寺の顔を引き締めている |
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まだ真新しい本堂
本堂の右手には八幡大神宮がある |
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こちらが大師堂
狭い境内の片隅に建つ |
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お寺の情報
第16番札所 光耀山 千手院 観音寺
読み こうようざん せんじゅいん かんおんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観世音菩薩
開基 弘法大師
創建 天平13年 西暦741年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 山門前
U 山門前
V 本堂前 |
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ここにも福耳小僧が!!
夜泣き地蔵っていうから
お地蔵さんが夜泣きするのかと思ったよ・・・
子供の病気平癒などを祈願して
成就すると御礼によだれかけを奉納するらしい
12時33分 発 |
第十五番霊場 国分寺 |
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拡張整備された国道162号線に出て
まもなく右折
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12時44分 国分寺駐車場 着
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こちらが本堂
重層入母屋造りで
文化文政年間 西暦1804〜1830年に
再建されたものだそうだ |
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他の三つの国分寺とは違う重厚感が漂う・・・
古い・・・というより
少々老朽の感が否めないが
それが独特の重みを醸し出しているのも
確かだ
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こちらは仮大師堂
平成8年 西暦1996年に焼失して以来
大師堂は再建されていない
現在は烏枢沙摩明王堂に仮住まい
ちなみに烏枢沙摩明王はいわゆる
「トイレの神様」だ |
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お寺の情報
第15番札所 薬王山 金色院 国分寺
読み やくおうざん こんじきいん こくぶんじ
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
創建 天平13年 西暦741年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 山門石碑前
V 山門前 |
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創建当時の塔の基礎が
そのまま残されている
この遺構の存在がまるで廃寺のような
裏寂れた雰囲気をさらに増大させている |
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境内には奈良時代に建てられた
七重塔の巨大な礎石も残っている
最盛期には巨大な寺院だったことがわかる
13時00分 発 |
第十四番霊場 常楽寺 |
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再び国道192号線に出て
間もなく右折
またもやトッポで横幅ギリギリの狭い道を
抜けていく
両サイドのドアミラーと壁の隙間は4cm程度だ |
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13時08分 常楽寺駐車場 着
入り口はご覧の通りの
桜大爆発状態だ |
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50段ほどの石段を登っていく
山門はないようだ |
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奥が本堂
四国霊場の中で唯一
弥勒菩薩を本尊としている
右手が大師堂
むき出しの断層の岩肌が
そのまま境内になっている
その形から流水岩と呼ばれているそうだ |
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お寺の情報
第14番札所 盛寿山 延命院 常楽寺
読み せいじゅざん えんめいいん じょうらくじ
宗派 高野山真言宗
本尊 弥勒菩薩
開基 弘法大師
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報 ロケ地
T 大師堂前
U 入り口前
V 入り口前
本堂の前の大木は
イチイ(あららぎ)の木で
枝の間に大師像が祀られている
あららぎ大師として有名らしい
13時20分 発 |
第十三番霊場 大日寺 |
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鮎喰川を渡り
13時34分 大日寺駐車場 着
お寺は交通量の多い道路の傍にある |
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こちらが本堂
弘仁6年 西暦815年
弘法大師がこの付近の森で護摩行をしていると
大日如来が今のお寺の場所に現れて
「ここは霊地なので一寺を建てよ」との
お告げがあった
それに従いこのお寺が建てられたという逸話が
残っているようだ
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こちらが大師堂 |
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お寺の情報
第13番札所 大栗山 花蔵院 大日寺
読み おおぐりざん けぞういん だいにちじ
宗派 真言宗大覚寺派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 弘法大師
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 大師堂前
U 本堂前
V 入り口付近 |
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こちらは境内にある
しあわせ観音
合唱した手を模したお堂に
観音像が祀られている
ご利益もズバリ
「しあわせになれる」というものだ
13時56分 発 |
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さあ
次は本日のメインイベント
徳島三大難所最後のお寺
どうでしょう班も恐れる
12番焼山寺だ
県道20号線で神山温泉付近まで出て
国道438号線を経由して
県道43号線で焼山寺の登山道へと向かう
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第十二番霊場 焼山寺 |
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泣く子も黙る 黙る子も泣く 焼山寺の登山道
道は整備されていて
「四国的」にはそんなに狭くなく
昼間であればそれほど走行し辛い道ではない
苔むした樹木や壁面が霊山の雰囲気を醸し出す
夜は怖いだろうなぁ〜・・・ |
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14時34分 焼山寺駐車場 着
焼山寺と書いて「しょうさんじ」と読む |
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石段を登る
元々このお寺は
飛鳥時代に役行者が開山したといわれ
蔵王権現を祀る修験の霊場だったそうだ |
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階段を登ると仁王門がある
門をくぐると「たどり着いた」という実感が湧く |
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境内には樹齢数百年の巨大な杉の木が
立ち並ぶ
徳島県の天然記念物に指定されている |
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左手が本堂
右手が大師堂だ
大師堂は平成20年 西暦2008年に
落慶したばかりの新しいものだ |
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お寺の情報
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺
読み まろざん しょうじゅいん しょうさんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
開基 役行者小角
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 本堂前
V 駐車場 |
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ここは弘法大師の逸話の中で
最も面白いエピソードの舞台でもある
弘仁6年 西暦815年
この山に火を吐く大蛇が住み着いて
人々に害を及ぼしていると聞いた弘法大師は
大蛇を退治するためにこの地に入る
山は一面の火の海になっていた
弘法大師は水輪の印を結んで
火を消しながら山頂へと向かう
山頂近くの岩窟で大蛇が姿を現し
弘法大師に襲い掛かる
弘法大師は一心に祈願し
虚空蔵菩薩の助けを得て
大蛇を岩窟に閉じ込めることに成功する・・・
法力を用いて大蛇と闘う弘法大師の勇姿が
目に浮かぶようだ
焼山寺という奇妙なお寺の名前も
この逸話から発しているようだ
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駐車場のそばの道を
1.6kmほど下ったところに
四国遍路の元祖 衛門三郎終焉の地と
伝えられる場所があり
杖杉庵というお堂が建っているそうだ
番外霊場になっているので時間のある方は
ぜひ行ってみることをお勧めする
14時50分 発 |
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雨がまた激しくなってきた
タイトな山道を慎重に下る |
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焼山寺突破を目指すあまり
昼食を摂り損ねた
15時14分
サンクス神山町店に寄る
豚バーガー 330円
食べた感想
「・・・そこそこ」
15時20分 発 |
第十一番霊場 藤井寺 |
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県道43号線を北上
掘割峠を越えて吉野川市へ入る |
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15時58分 藤井寺駐車場 着
藤井寺と書いて「ふじいでら」と読む
寺を「てら」と読むのは
四国霊場唯一ここだけだ
お遍路ツアーの小型バスが2台もいる
混雑してるかな?
この大きさのバスが
狭い道にガンガン入ってくるので油断ならない
お遍路ツアーのバスのドライバーは
腕利き揃いだと聞いたことがあるが
そりゃそうだろう・・・
あんな道をこいつで走るんだからw
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小川の傍を通って
藤井寺の山門を目指す
雨はまだ強く振っている
時々大きな雨粒が笠を叩く |
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こちらが本堂
本山の薬師如来坐像は秘仏で
重要文化財に指定されている
製作年や作者がはっきりしているので
平安中期の仏像を鑑定する際の基準作に
なっているそうだ
このお寺も
度重なる戦火や火災で何度も全焼し
現在の伽藍は万延元年 西暦1860年に
再建されたものだそうだ
創建の際
弘法大師がお堂の前に藤を植えたことから
お寺の名前がついたらしい
残念ながら藤の花は時期はずれで
見ることができなかった
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こちらが大師堂
お寺の情報
第11番札所 金剛山 一乗院 藤井寺
読み こんごうざん いちじょういん ふじいでら
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建 弘仁6年 西暦815年
どうでしょう的情報
ロケ地
T・U・V 山門前
16時15分 発 |
第十番霊場 切幡寺 |
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吉野川を渡る
日本三大暴れ大河のひとつで
四国三郎の異名をとる |
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徳島自動車道の下をくぐって
切幡山の中腹へ
16時37分 切幡寺駐車場 着 |
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ここから先のお寺はほぼ平地にあり
逆打ちの場合
ここが最後の階段修行の場となる
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建物が見えたので
登りきったかな〜と思ったら・・・ |
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その先がありました・・・ |
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しかもここから急勾配・・・
ただし333段+234段ではなく
全部合わせて333段なのでご安心を・・・
といっても
けっこーキツい |
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階段を登り切ると正面に本堂が現れる
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本堂の奥の一段上には大塔が建っている
豊臣秀頼が徳川家康の勧めで
豊臣秀吉の菩提を弔うため
慶長12年 西暦1607年 大阪住吉神社の
神宮寺に建立したものを
明治6年 西暦1874年にこの地に移築したもので
重要文化財に指定されている |
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こちらが大師堂
修行中の弘法大師がほころびた僧衣を
繕うために村の機織の娘に継ぎ当てる布を
所望したところ
娘は織りかけの布を惜しげもなく切り裂いて
手渡した
感激した弘法大師は
「観音像を作ってお祀りし自分も仏門に入りたい」
という娘の願いを聞き入れて
その場で千手観世音菩薩像を彫り
娘を得度(出家)させて潅頂(頭頂部に水を濯いで正式な継承者とする儀式)を授けたところ
たちまち即身成仏して
十一面観世音菩薩の姿に変身したという逸話が
残っている・・・
お寺の名前もこの逸話から発しているようだ |
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お寺の情報
第10番札所 得度山 灌頂院 切幡寺
読み とくどざん かんじょういん きりはたじ
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観世音菩薩
開基 弘法大師
創建 弘仁年間 西暦810〜824年
どうでしょう的情報
ロケ地
T 本堂前
U 本堂前
V 山門前(旧山門) |
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今日はここで打ち止め
悪天候だったが目論み通り焼山寺を突破できた
お寺の参道に ビジネスホテルの看板が
あったのでナビで検索してみる
近いようなので行ってみよう
17時03分 発 |
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17時16分
ビジネスホテル アクセス阿波 着
一泊5500円で簡単な朝食付きだったので
泊まることにする |
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洗濯物がたまって・・・
というよりは
着替えが間に合わないので
ホテルのコインランドリーで洗濯する
洗濯一回 200円
乾燥10分 100円
乾燥は40分間使用
「衣類は半分 お金は倍」
ふだんの旅では衣類は少なめに持っていくが
巡礼の場合は
汗をかいて着替えるサイクルが早いので
下着だけでも多めに持っていく必要があることを
この旅で知った |
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明日は何とか天候も回復しそうだ
近所の弁当屋とスーパーで夕食を買い
部屋で食べる
四国八十八ヶ所巡礼の旅も
いよいよ大詰めだ
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