六日目 2011年4月9日 巡拝完結 高野山へ
 
  2011年4月9日

5時55分 起床


エレベーターホールの窓から外の様子を見る

雨はまだ止んでないなあ・・・
  一階で無料の簡単な朝食を摂る 

これで十分w
  アクセス阿波は施設も整っていて
リーズナブル
領収書を兼ねたカードを使って
夜でも正面玄関の出入りが自由で
朝食付きで駐車料もタダという
いいことずくめのホテルだ

機会があればまた利用したい

6時53分 発
第九番霊場 法輪寺   
  ここからはお寺の密集地帯だ

一番霊山寺まで一気に攻めよう

アクセス阿波から
県道12号線を西へ進み
間もなく右折

のどかな田園地帯を抜けていく

  6時59分 法輪寺駐車場 着

  こちらが本堂

このお寺も例に漏れず
戦火や火災で焼け落ち
現在のお堂は明治時代になってから
再建されたものだそうだ

  本堂には
このお寺のご利益で
病気が治った人や
歩けるようになった人が奉納していった
感謝状や松葉杖が残されている
  こちらが大師堂

この地で弘法大師が白蛇を発見
白蛇は仏様の使いと考えられていたので
釈迦如来の涅槃像を作って開基したと
言われているそうだ
  お寺の情報
第9番札所 正覚山 菩提院 法輪寺
読み しょうかくざん ぼだいいん ほうりんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 涅槃釈迦如来
開基 弘法大師
創建
 弘仁6年 西暦815年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T 山門前
U 鐘楼
V 山門前
  納経所の前は回遊式の庭園になっている
  名物たらいうどんの店か?
・・・と思ったら看板だけだった

たらいうどんって
高知の名物じゃなかったかな?

7時17分 発
第八番霊場 熊谷寺   
  熊谷寺に向かう途中
突然ナビがフリーズ・・・


長い間使ってきたが
こんなことは初めてだ

しかし
不思議なことに
全く知らない土地にも関わらず
迷うことなく熊谷寺に向かう

このとき
ナビに起こった異常に
まだ気づいていなかった・・・・

  7時24分 熊谷寺駐車場 着

熊谷寺と書いて「くまたにじ」と読む
  多宝塔

安永3年 西暦1774年建立
内には胎蔵界の大日如来像を中心に
四方に如来像が安置されているらしい

  こちらは中門

仁王門は見ることが出来なかったが
境内から南に100mほどのところに
あるそうだ

貞享4年 西暦1687年建立
高さ13mの二重門で
四国霊場最大の山門らしいので

一見の価値はありそうだ
  中門から眺める桜

美しいのを越えて幻想的ですらある
  本堂

寺伝によると
弘法大師がこの付近で修行していたところ
熊野権現が姿を現し
高さ一寸八分(5.5cm)の
小さな金の観音菩薩像を手渡し飛び去ったという


弘法大師は等身大の像を彫り
胎内にこの小さな像を納めて祀ったのが
このお寺のはじまりだそうだ
  大師堂は本堂の一段上にある

宝永4年 西暦1707年の建立
県指定文化財に指定されている
  お寺の情報
第8番札所 普明山 真光院 熊谷寺
読み ふみょうざん しんこういん くまたにじ
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観世音菩薩
開基 弘法大師
創建
 弘仁6年 西暦815年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T 多宝塔前
U 本堂前
V 山門前
  中門を覆い隠すほどの
大きな花の沸き立ち 
  ちなみに納経所は駐車場のそばにある

7時43分 発
第七番霊場 十楽寺   
  県道139号線で
徳島自動車道の下を東へ進む
  特徴的な山門が見えてくる

7時49分 十楽寺駐車場 着

  竜宮門形式の山門
  こちらのお寺も桜が満開だ
  境内にはもうひとつ門がある

中門にあたり遍照殿という名前がつけられている
上層は愛染堂として愛染明王が祀られているそうだ 
  こちらが本堂

このお寺は
元々現在地から3km離れた
十楽寺谷にあったらしい

最盛期には阿波北部でも
屈指の規模を誇っていたが
天正10年 西暦1582年に
長宗我部元親の兵火によりすべてが焼失
この時住職は本尊を背負って脱出したという


寛永12年 1635年に現在の場所で再建されたそうだ

本堂は近年改築されたらしい
  こちらが大師堂
本堂より一段高い場所にある
  お寺の情報
第7番札所 光明山 蓮華院 十楽寺
読み こうみょうざん れんげいん じゅうらくじ
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建
 大同年間 西暦806〜810年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T・U・V 山門前
 本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多 本堂左前に
「治眼疾目救済地蔵尊」があり
古くから眼病の人たちの治療に霊験があるとされ
眼病に悩むお遍路さんの参詣が多いそうだ

8時07分 発
  四国では道の真ん中に
お墓やお宮が建っていることが珍しくない

元々お墓やお宮がそこにあり
後から道が出来たのだから
道のほうが避けて通りなさい・・・ということだろう
第六番霊場 安楽寺   
  8時11分 安楽寺境内駐車場 着

十楽寺からわずか3分で到着
  こちらも竜宮門形式の鐘楼門

両脇の切妻造りの建物の中に
仁王像が安置されている
  このあたりでは古くから温泉があり
安楽寺は弘法大師によって
温泉湯治のご利益が伝えられた場所で
山号も温泉山になった

現在も大師堂前から温泉が湧き出ているそうだ


お遍路さんにとても親切なお寺で
大きな宿坊もあり
団体だけでなく個人でも泊めてもらえるそうだ
  こちらが本堂

コンクリート造りの堅牢な建物
  朱塗りの扉と龍の彫刻が目を引く
  こちらが大師堂
  お寺の情報
第6番札所 温泉山 瑠璃光院 安楽寺
読み おんせんざん るりこういん あんらくじ
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建
 弘仁6年 西暦815年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T 本堂前
U 本堂前
V 山門前
  多宝塔の周囲では「お砂踏み」ができるらしい

多宝塔の前の松の木は
逆松(さかまつ)と呼ばれているそうだ

弘法大師が厄年(42才)の時
修行中の弘法大師を
猟師が猪と間違って矢で射てしまった
幸いにも矢は松の木に当たって事無きを得た
弘法大師は射抜かれて折れた松を逆さに植え
「この地を訪れたものは厄災を免れるだろう」と
予言したという伝説が残っている

8時20分 発
第五番霊場 地蔵寺   
  県道12号線を東へ

ナビはまだ不調のようだ
狭い道を大回りして地蔵寺に向かっている
  8時38分 地蔵寺駐車場 着

開けた傾斜地に建つお寺だ

  こちらが本堂

こちらの本尊のお地蔵さんは
甲冑を身に着けて右手に錫杖を握り
左手には宝珠を持って
軍馬に跨る勇ましい姿をしているという
悪者を退治し災いを祓うというお地蔵さんだそうだ


「勝軍」地蔵尊ということで
武家からの信仰が厚かったようだ


本堂の右手にあるのは不動堂と恵比須堂

境内の奥には五百羅漢堂がある
  こちらが大師堂

ようやく差し込んできた朝日が眩しい
  お寺の情報
第5番札所 無尽山 荘厳院 地蔵寺
読み むじんざん しょうごんいん じぞうじ
宗派 真言宗御室派
本尊 延命地蔵  胎内仏・勝軍地蔵菩薩
    (伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建
 弘仁12年 西暦821年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T 山門前
U 本堂に向かう境内
V 山門前
  聳え立つ大木は
たらちね大銀杏と呼ばれているらしい
樹齢約800年だそうだ

8時50分 発
第四番霊場 大日寺   
  巡礼の最中は
「あといくつ」「あといくつ」と
指折り数えていたのに
もうすぐ巡り終わるという時点になると
「あと4つしかないんだな・・・」という
寂しさが湧いてきた
不思議なものだ・・・

広域農道を川沿いに北上する
  8時53分 大日寺駐車場 着 

駐車場から山に向かって歩いていくと
朱塗りの山門が見えてくる
一階が角型で上部が円柱の鐘楼になっている
  境内の様子

ここの桜も満開だ

本堂と大師堂が長い回廊で繋がっている
  お寺の情報
第4番札所 黒厳山 遍照院 大日寺
読み こくがんざん へんじょういん だいにちじ
宗派 東寺真言宗
本尊 大日如来(伝弘法大師作)
開基 弘法大師
創建
 弘仁6年 西暦815年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T・U・V 山門前
 

   こちらが本堂
  こちらが大師堂

桜がすご過ぎて隠れちゃってますw
  人が遍路になるには
いろいろな理由がある
その中には不治の病に侵され
信仰だけが最後の希望という人もいる

ここ大日寺の先々代住職は
当時らい病と呼ばれ恐れられたハンセン氏病の
お遍路さんを手厚く接待していたと伝えられている

四国の4番目のお寺で
人間らしい扱いを受けた彼らは希望を抱いたに
違いない・・・

9時07分 発
第三番霊場 金泉寺   
  再び県道12号線で東に向かい左折
町道を北へ進む


道端に建つ金泉寺の仁王門

9時18分 金泉寺駐車場 着


金泉寺と書いて「こんせんじ」と読む
  境内の様子

納経所の手前には
源義経が力試しに武蔵坊弁慶に
持ち上げさせたといわれる
「弁慶の力石」が置かれている
  こちらが本堂

弘仁年間 西暦810〜824年
弘法大師は
村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て
この地に井戸を掘った
その井戸から湧き出た水は霊水で
「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ
寺名の「金光明寺」を改め「金泉寺」になったという
逸話が伝えられているそうだ
  こちらが大師堂 

平成20年 2008年11月に改築された
  お寺の情報
第3番札所 亀光山 釈迦院 金泉寺
読み きこうざん しゃかいん こんせんじ
宗派 高野山真言宗
本尊 釈迦如来(伝行基作)
開基 行基菩薩
創建
 天平年間 西暦729〜749年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T・U・V 山門前


9時34分 発
第二番霊場 極楽寺   
  県道12号線に出てさらに東へ

9時41分 極楽寺駐車場 着

山門をくぐり美しい庭園を抜けると
不動堂と観音堂がある
本堂と大師堂は石段を登ったところにある
  こちらが大師堂

江戸時代初期 西暦1659年に建立された


弘仁6年 西暦815年
この地で修行中に阿弥陀如来を感得した弘法大師は
その姿を刻んで本尊にした

ところが
この阿弥陀如来像の後光が遠く鳴門の海まで達し
魚が採れなくなってしまったため困った漁民たちが
本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから
「日照山」いう山号になったという伝説が
残っているそうだ
  お寺の情報
第2番札所 日照山 無量寿院 極楽寺
読み にっしょうざん むりょうじゅいん ごくらくじ
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来(伝弘法大師)
開基 行基菩薩
創建
 奈良時代 西暦710〜793年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T・U・V 山門前
 
  弘法大師お手植えの長命杉

樹齢約1200年で
鳴門市の天然記念物に指定されている

9時55分 発
第一番霊場 霊山寺   
  県道12号線をさらに東へ進み
坂東谷側を渡る



10時02分 霊山寺駐車場 着 

霊山寺と書いて「りょうぜんじ」と読む

ついにたどり着いた一番札所・・・
  境内は多くのお遍路さんであふれかえっている
そのほとんどは真新しい装束で
勝手がわからないのか右往左往している
88番大窪寺での自分の姿を思い出す

年間30万人ともいわれるお遍路さんの
ここが巡礼の出発の地


そして
逆打ちのわたしにとっては
結願の地だ
  こちらが本堂 
本山の釈迦如来像は秘仏だ

新米お遍路さんたちが
先達にお参りの仕方を教わっていた
  最後の本堂でのお参りをする

子供の頃に仕込まれて
お経は暗記しているので
いつもは経本を
さんや袋((巡礼用のバッグ)から出さないが
最後なので丁寧に読経するため に取り出して
広げる


175回目の読経は
88番大窪寺で行ったときと違って
ごく自然に発せられた
  最後に大師堂にお参りする

長かった四国巡礼もここで終わりだ

  どうでしょう的画角

右端からミスターと大泉さんが
遍路姿で出てくればカンペキw

多宝塔は応永年間 西暦1394〜1428年の建立
塔内には五智如来像が祀られているそうだ


  お寺の情報
第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺
読みじくわざん いちじょういん りょうぜんじ
宗派 高野真言宗
本尊 釈迦如来
開基 行基菩薩
創建
 天平年間 西暦729〜749年

どうでしょう的情報
ロケ地 
T 多宝塔前の池の橋の前
U 多宝塔前の池の橋の上
V 山門前
  池の中から幼児たちが見上げているのは・・・
  水子地蔵尊の姿
  納経所で
四国八十八ヶ所最後のご朱印を頂く
  四国八十八ヶ所巡礼の旅
これにて結願

あとは高野山に行って
奥の院にお参りすれば満願成就となる
納経帳の最後の一ページもそこで埋まる

よーし 行くぞ!

時間も早いので
もしかすると今日中にイケるかも!

10時26分 発
  藍住インターチェンジから
徳島自動車道に乗る
  徳島市に入る

うまくいけば高野山奥の院の
納経所が終了する時間までに
ギリギリ間に合いそうだ


そしたら和歌山市内で一泊して
あとはゆっくり帰るだけ!


ところが・・・
  ・・・なにかヘンだ
鳴門海峡大橋に続く高速道路に
なかなかたどり着けない

霊山寺って鳴門市じゃなかったか?

なんで徳島に向かってるんだ?

とうとう徳島市内で
高速道路を降りてしまった

ホントにこの道であってるのか? 
  やっぱり違〜うっ!!

なんとナビの野郎
徳島港のフェリーのりばに
誘導しやがった!!
  熊谷寺に行く時に
フリーズしたのが影響したのか
ルート検索設定が
「フェリーを利用する」に変っていた!! 


予定では高速道路で
淡路島に渡り神戸を経由して
和歌県へ一直線のはずだったのに・・・

再検索して見ると
もう納経所の終わる時間に
間に合わない到着時間を表示した・・・
  一気に意気消沈・・・
これから飛ばしてなんとか巻いてやろうという
気力も失せた

いいよもう・・・
のんびり船旅でも楽しませてもらいますわ!!

フェリー代 7400円 


高速道路なら半額でいけるのに・・・
  がっくりくると腹が減った

ターミナルにある食堂で昼食


徳島ラーメン  550円

・・・うまかった

少し元気が出たw
  出港は13時30分

まだ一時間半もある

トッポを乗船レーンに並べて
車内でゴロゴロして過ごす・・・
  ボルボの新品トレーラーヘッドが4台
トッポの横で乗船を待っている
  トレーラーをトレーラーに載せている

フェリーはクルマの全長で料金が決まるので
4台で乗るなら
こうして2台分のトレーラーを積んでしまえば
もう2台分はフェリー代が安くなるというわけだ
  そうこうしているうちに
フェリーが入港してきた

南海フェリー「つるぎ」

2604トン(総トン)
全長108m
全幅17.5m

エンジン出力5400馬力×2基
最大速度21.63ノット
旅客定員450名
8トントラックで換算して39台積載可能
  13時15分

乗船開始 
  客室は広く
売店やゲームコーナーなども整っている


意外と客が多く
すでに寝転ぶスペースもないので
船内をうろうろして過ごす
  定刻どおり出港
  遠ざかる四国
思えば長く苦しい旅だった・・・

そして
いつもに増して充実した日々だった
  上甲板にはソーラーパネルが設置されている

説明板によると
住宅用ソーラーパネル3軒分の発電量で
エコカーで換算すると
一年間で東京⇔大阪間を30往復分の
CO2排出を抑えることが出来るそうだ
  遠くに「つるぎ」の姉妹船「かつらぎ」が
行き交うのが見える


風が強いので
横に大きくローリングしながら航行する


船酔いする人はひとたまりもないだろう・・・
  遠くに浮かぶ淡路島

あそこを通って行くはずだったんだがなぁ〜

まあ
紀伊水道を船で渡るのは初めてなので
よかったかもしれない
  速度は16ノットほどだろうか

強風でうねりがあるので
あまり早く走れないようだ
  この消化栓のあたりが
日当たりが良く過ごしやすかった

  こちらは南海フェリーの萌えキャラらしい

ネコもしゃくしも・・・って感じだがw 
  和歌山港が近づいてきた
内湾に入ると風も収まる
  15時40分
定刻どおり和歌山港に到着
  和歌山港から
和歌山バイパスを通り国道24号線を
紀ノ川沿いに東進
  こんなところに二十四の瞳と
オリーブで有名な小豆島がっ!!


・・・すみません
もうネタ切れです
  笠田で紀ノ川を渡り
国道480号線 西高野街道に入る

山頂に進むにつれて
ワインディングロードになっていく
  峠道を登りきり
高野山の山頂に入ると
いきなり大きな町が出現する

ここが山の上なのかと疑うほどの賑わいだ

  17時33分 
高野山 奥の院駐車場 着


近くの食堂でカレーを食べる

あきらかにボンカレーだったw


宿坊など予約していないので
今夜はこの駐車場で車中泊

寒いぞきっと・・・