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荒れた舗装の直線道路が続く
時々タイヤが轍にハマる
道路の痛み具合は
冬が厳しい証拠だ・・・ |
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途中
11時15分
北海道エネルギー
北見SSで給油
走行距離345.3km
20.00リットル給油
燃費17.26km/リットル
燃費も少しよくなってきた
11時20分 発
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11時27分
博物館 網走監獄 着 |
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鏡橋と呼ばれる木製の橋を渡り
入り口へ |
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入場料 1050円
さっそく投獄されてみる |
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囚人たちの働く工事現場の
宿舎の様子
一本の丸太を枕に寝ている
起こす時は
看守が丸太の端を
ハンマーやサーベルの先で
ガンガン叩いたという
「叩き起こす」という言葉の
語源とも言われている |
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明治の脱獄王
五寸釘の寅吉
各地で脱獄を繰り返し
五寸釘を板に打ちつけた
脱獄防止用の罠を踏み抜いたまま
12kmも走って逃げたことから
この異名を頂戴した
晩年は模範囚となり
老齢のため刑の執行停止により
釈放されている |
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資料館の前から
現在の網走刑務所が見える |
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途中からガイドさんについて歩き
行刑資料館に入る |
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網走監獄へ連行される囚人の様子
現在は護送バスか飛行機だが
当時は徒歩で連行されていた
深い傘はプライバシー保護のように
思えるが
どの道をどのように歩いてきたか
わからないようにするためでも
あったようだ・・・・ |
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網走監獄は
明治政府の国策事業である
北海道の幹線道路建設のために
囚人たちを送り込むために作られた
囚人たちの一部は
工事のための宿泊施設を
建設するために先発
熊やオオカミにおびえながら
二人一組で鎖に繋がれて
山道を進んだ
作業中に命を落とす囚人も多く
死んだらその場に埋められ
棒に鎖を巻いたものが墓標として立てられた
「鎖塚」呼ばれ死んでも鎖から逃げられないという見せしめでもあった・・・・ |
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で
この行列の3番目の人が
高倉健ということになっているらしい
・・・・健さんに見える? |
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太平洋戦争中は
テニアン島に派遣されて
飛行場建設に従事させられた
皮肉にも囚人たちが作った飛行場は
アメリカに奪い取られ
ここからB-29が原爆を積んで
発進して行くことになる・・・
建設を終えた囚人たちのほとんどは
帰国途中にアメリカ軍の攻撃を受け
輸送船ごと沈められてしまったそうだ・・・ |
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大正9年の夏
ふたりの囚人が脱走
看守は仕込み杖を手にこれを追跡
あばしり橋の上で脱獄囚と鉢合わせする
刃物を持って抵抗したため
剣の達人であった看守は
やむなくふたりを斬殺する |
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昭和38年
ある囚人が
独居房の屋根を破って脱出
被服工場で服を盗み
毛布を裂いて作ったロープで
煉瓦塀を越え脱走
だが汽車に乗り遅れてしまい
やむなく線路上を歩いていたが
疲れて眠っていたところを
取り押さえられた |
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こちらは
拘束具などの展示スペース |
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拘束具
足につける鉄球や
かけられるとあまりの苦しさに
囚人が泡を吹くことから名づけられた
カニ錠が展示されている |
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こちらは看守の使っていたサーベルと
熊やカラスを駆除するために
使用していた銃 |
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網走監獄と政治との関わりを示した
パネル展示
ここに衝撃的な記述がある
囚人を使役して道路工事をすることに対しての伊藤博文の当時のコメントだ
要約して現代風に言うとこうだ
「道路工事するなら業者雇うより
囚人のほうが安上がり
囚人なんてどーせ悪人なんだし
もし死んだら死んだで
経費の削減になってダブルで
お得じゃーん!!」
・・・当時の人権意識なんて
この程度だったということだ |
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五翼放射状舎房に入る
明治45年に建設され昭和60年に
この地に移築された
この六角形の監視台を中心に
5つの房が放射状に配置されており
ここにひとり看守が見張りに立てば
すべての房を監視できるという
合理的設計だ |
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舎房の様子
上の窓は脱走や自殺が出来ないように
天井付近をチェックするためのもの
冬は廊下に石炭ストーブをふたつ置くが
それでも-9℃程度しか
室温は上がらなかったという・・・・ |
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格子も合理的に出来ている
木材が斜めに配されており
斜めからは中が見えるが・・・・ |
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正面からは中の様子が見えないように
なっている
監視はし易いが
囚人同士はお互いの
様子を見ることが出来ない |
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看守に反抗したり喧嘩をしたものには
懲罰が与えられる
こうして作業時間が終わるまで
正座させられ
食事も制限される |
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脱走する囚人を再現した展示
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彼は食事の味噌汁などを
監視用の鉄格子に吹きつけ続け
塩分で錆びさせると同時に
木材をふやけさせて
ついにこれを外してしまう
自ら肩の間接を外し
この小さな穴から脱走したそうだ
執念とは恐ろしいものだ・・・ |
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出所が近くなると
農作業などの比較的軽い作業に就く
・・・・・なんだか
ドラゴンボールに出てきそうな服装だ |
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旧網走刑務所二見ヶ丘農場
現在は囚人たちの生活の様子を再現した
展示館となっている |
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こちらは食事の様子
端っこに囚人でない人も
混じっているようだが・・・・・ |
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こちらでは
監獄の食事を再現したものを
実際に食べることが出来るのだ |
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一食 600円
順番待ちの番号札も凝っている |
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こちらが監獄食
・・・・あー
なぜだろう
妙になつかしい味なんだが・・・
(服役したことはないがw)
・・・・ああ
自衛隊の食堂のメシもこんな感じだったw |
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風呂場の再現展示
入浴方法も決められていて
まず後ろの浴槽に浸かり
真ん中で身体を洗い
そして前の浴槽に入る
ステップごとの時間も決まっていて
しかも前進のみの一方通行
後ろを見たり戻ったりすることは許されない |
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交談禁止の看板が厳しさを物語る |
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ニポポ像
元々は樺太アイヌのお守りだが
囚人たちもこのマスコットを身に着けて
厳しい作業に耐えるための心の拠り所とした |
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わたしも小さなニポポちゃんを購入
笑い顔が素敵なものを選んで買った
1100円
笑うニポポ人形・・・
どこかで聞いたような・・・・・
13時36分 駐車場 発
一路
宗谷岬へ向かう |