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2009年5月15日
4時00分 起床
今朝の車窓
ガラスが曇っている
・・・のではない
凍っている・・・
・・・顔が痛い
この感覚は・・・
氷点下?
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まさかと思って
辺りを見回す
よかった・・・・・
雪は積もっていないようだ
あ
お土産物屋さんの
時計の下に
温度計がある・・・ |
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・・・・マジで
氷点下だった
えーと
今日は
5月15日だよね・・・
広島じゃ
「暑〜い」とか言ってる季節だ・・・
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では
改めて日本最北端到達の
記念撮影
よくぞここまでがんばってくれた
愛してるよトッポちゃん! |
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このモニュメントの真ん中が
オホーツク海と日本海の境界線 |
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海岸を散歩する
波打ち際に昆布が流れ着いていた |
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海が緑色の部分がある・・・
昆布か?
昆布なのかっ?! |
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丘の上には
宗谷岬灯台
展望台らしきものも見える
他にもいろいろありそうなので
行って見る
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四角いボディの
宗谷岬灯台 |
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宮澤賢治の詩碑がある |
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水平線をバックに建つ
「あけぼのの像」
解説によると
北海道の牛乳生産量
100万トンを突破と
飼育乳牛50万頭突破を記念して
1971年7月に建設されたらしい
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ラペルーズ伯の碑
1785年フランス国王ルイ16世は
世界海洋科学調査航海を命じ
ラペルーズ伯爵と
ジャン フランソワ ド ガローの
指揮する二隻の調査船は
1787年
日本海とオホーツク海を結ぶ
海の存在を確認
その功績を称えラペルーズ海峡と
名づけられた
その後1789年
オーストラリア出港後行方不明となり
英雄として祖国の土を踏むことは
できなかったという・・・
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宗谷岬と世界の各都市との距離を
表示した看板
樺太のサハリンまで
わずか43kmだ |
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1943年10月11日
宗谷岬沖で旧日本海軍と
アメリカ海軍の5時間に及ぶ
壮絶な戦いが繰り広げられ
アメリカ海軍の潜水艦
ワフーSS238号は
ここから北東12マイルの海域で
80名の乗組員と共に沈没した
これは日本側の人々と
ワフー号の遺族が建てた
鎮魂の碑だ・・・・ |
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今では
日本側の犠牲者の鎮魂碑と
仲良く並んで建っている・・・・ |
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下から見ると
タダの古びた展望台に見えたがこれも立派な史跡だった
史跡 大岬旧海軍望楼
望楼とは見張り台のことだ
明治35年に船のブリッジを模して
作られた
宗谷海峡を通過しようとする
ロシア海軍の艦船を監視するためだ
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現在は展望台として使用されている
錆びついた丸窓が
歴史を物語る・・・・ |
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望楼上からの眺望
水平線がかすんで見える
海からの寒風が肌を刺す・・・ |
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朝日が雲間から差し込む
こういう光景を
海軍の人は「軍艦旗」と呼ぶ |
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ひときわ背の高い
コンクリート製の塔
モニュメントの先端は
どこかを指差しているようだ |
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あの大韓航空機撃墜事件の
慰霊碑だった
ここがロシア以外で
一番現場に近い陸地なのだろうか
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この梵鐘は
世界平和を祈念して
世界81カ国から集められた
コインやメダルで作られている
梵鐘に英語の文字というのも
珍しい・・・ |
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ここは日本だろうか・・・
稜線も谷も
丸みのある形をしている
この地形は
「周氷河地形」と呼ばれ
今から約2万年前の氷河期に
氷河の周辺部が凍結と融解を
繰り返したために出来た地形らしい
5時34分 発 |
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国道238号線を浜頓別まで戻る
昨日はあんなに荒れていたのに
今日はおだやか・・・ |
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ひぇぇぇー!!
ついに恐れていた
鹿飛び出しアタックを
食らってしまった!
幸い衝突はしなかったが
危ないところだった・・・・
鹿はなに食わぬ顔で道路を
横断して行った・・・
この後も
あちこちで
鹿2回 キツネ1回
ヘンなマメジカみたいなもの1回の
飛び出しを食らうことになる・・・
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国道275号線を旭川方面に向かう
目の前の山は
敏音知山
ピンネシリと読む
標高703m |
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8時24分
道の駅 もち米の里 なよろ 着
名寄の温泉は知っていたが
もち米の里とは知らなかった・・・
8時35分 発
一路
旭山動物園に向かう
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